情報誌の花火大会特集の変遷と考察
花火特集の10年(〜1990〜2000)を振り返って

 「ぴあ(ぴあ株式会社)」や「Walker(角川書店)」に代表される、タウン総合情報誌が花火大会情報を定例の企画として取り扱うようになったのは、1990年前後がスタートの年だったといえるでしょう。
 それまでのことを少し書きましょう。ではそれ以前は、花火大会がいつ、どこで開催されるのか?といった情報はどこから流され、私たちはどうやって知っていたのでしょう。
 もともと花火大会とは一部の観光目的の大型花火大会(長岡まつりなど)を除けば、地域住民向けのサービスや行事、祭であり、開催日は周辺住民にだけ告知されればそれで充分なものでした。ですから地域の限定のポスターや地元の行政広報誌、新聞の地域版、町内会報、ケーブルテレビやUHF局で知らされるにとどまっても不便ではなかったでしょう。積極的に他地域の花火情報を収集するような私ども一部の観覧マニアを除いては。
 全国の主立った有名な花火大会に関しては、1980年代までは、通常は一般新聞に表組みで載る程度、単発的に旅行雑誌などが紹介あるいは開催情報として、取り上げるくらいでした。目立って現在のスタイルに近かったのは1985年「るるぶ(交通公社=現在のるるぶじゃぱん=JTB出版局)」8月号の花火特集で、お祭り情報の一環として全国の花火大会を写真付きで紹介、花火の簡単な歴史や種類、玩具花火についても触れています。ただし定期の特集記事ではなく一度きりの扱いでした。
 1970年代半ばから1980年代半ばにかけて、このころ既に東京で出版されていたタウン情報誌としてはびあの他に、「シティロード」「angle」がありました。この2誌は現在は消滅しています。これらの情報誌も花火情報は掲載していたものの、各誌があくまで東京中心のタウン情報誌であったことから、もっぱら関東圏の狭い地域の花火大会に留まり、日程や時間中心の表組みで済むもので、ビジュアルな見せ方はしていなかったと記憶しています。ぴあ誌では1989年の花火特集から比較的充実してきています。詳細な扱いは都内のいくつかの花火大会に限定していたものの、比較的詳しい地図を載せています。また花火の種類を説明する写真を煙火業者のもとから借り出して掲載している点が特筆すべきでしょう。加えて東京ディズニーランドに代表するテーマパーク、遊園地の情報、新潟、山梨、愛知の大会もいくつか扱っています。さらに花火工場の様子などの囲み記事を載せ、現在の情報誌の花火特集のひとつのスタイルの基礎となった記事といってよいでしょう。
 だいたい「花火大会特集」というからには、花火大会名、開催日時、場所、アクセス、問い合わせ先、打ち上げ発数、その花火大会で撮られた写真を掲載しているのは、第一条件で、当たり前のことであります。その上で、プラスアルファの部分を各誌ごとにどう工夫するかが見所なのだといえるでしょう。
 ちなみに1984に開園した東京ディズニーランドでは、最初の年から花火を打ち上げていますが(花火野郎は開園の年から観ています)、テーマパークの花火として情報誌にひとつのジャンルで取り上げられるようになるまでにはしばらくかかったことになります。それは東京ディズニーランドが遊園地ではないテーマパークとして、今日の絶対の影響力を築くまでの僅か数年の間でした。この間に、夏だけではなくアトラクションとしてふんだんに花火を活用する、というディズニーのスタイルはまたたく間に、全国の遊園地や、ディズニーをまねたテーマパークに波及したのです。「遊園地」という呼び名がいつしか「テーマパーク」になっていた頃です。

1990年以降の競争化

 本格的に各誌が花火大会情報を毎夏定期的に取り扱うようになり、情報誌間の競争に発展していったのは、ぴあ誌に対し、1990年にWalker誌が創刊されてからといえます。そう考えると1990年を挟んだいわゆるバブル経済にともなって、花火大会の規模や予算も拡大基調にあったころであり、情報誌の取り扱い情報量も増えていた頃なのでしょう。
 創刊当初のWalker誌は横組みで右開きのものでした。同年に早くも一大花火大会特集を組み、Walker誌はA4版でサイズも大きかったので、当時の物としてはこれは非常に驚くべき力の入った特集でありました。この時網羅していた花火大会は首都圏54大会でしたが、首都圏といっても静岡の花火まで掲載していました。まだ簡略地図はなかったものの、開催に関する諸情報に加え、テーマパークの花火アトラクション情報、花火の種類や仕組みの知識まで盛り込んでおり、ビジュアルに関しても、フォトエージェンシーや煙火業者所有のまともな花火の写真を使用しており、企画特集としての完成度は高かったのです。Walker誌は第一回目の花火特集のタイトルから「今年の花火はココで見る!」としており、その後現在までずっとそのタイトルを踏襲しています。
 同じ年の「じゃらん(リクルート)」でもページ数は多くないものの現在のスタイルに近い記事を作っています。
 それでも当時の花火大会特集といえば、せいぜい日程近辺の情報、つまり開催日時、開催場所、問い合わせ先、簡略地図、おおまかな開催内容、といったものでした。網羅性はともかくそれらの内容の取材は、もっぱら主催者への電話やFAXによる確認で事足りるものであり、花火の写真についてもたいていは開催地自治体の広報課や観光協会から「無料で」調達しているようなものがほとんどでした。
 その後、情報誌としては独占状態にあったぴあ誌も、ライバル誌が生じると互いに花火大会特集の企画内容は次第に充実していきます。現在では、花火大会特集号は通常の2割から3割増しで確実にセールスすることから、各紙とも競争状態はいっそう激しくなってきています。ただ、後発誌は花火大会特集で実績のある先行誌を凌駕するような企画は少なく、他誌の売れ行きに便乗しているだけのおそまつな内容の記事も見られます。
 1990年半ばあたりからは、講談社の「東京一週間」、Walker誌の紙面づくりに押されたぴあ株式会社が対抗すべくが発刊する「Can do ぴあ」「夏季限定版 ぴあ」などが創刊されました。
 さらに女性向け情報誌「ChuChu(角川書店)」「Caz(扶桑社)」「Ozマガジン(スターツ出版)」なども相次いで花火大会特集を組み、こちらは女性誌らしく、夏のメークや浴衣と小物、浴衣の着付けなどを盛り込み、装う、食べる、などのキーワードを取り入れたファッション性の高い記事を完成しています。近年の花火とリンクした若い女性の浴衣ブームは、こうした花火特集の恩恵が大であるといっても過言ではないでしょう。
 その後は、一般紙、男・女性週間、月刊誌、旅行雑誌、企業PR誌なども不定期ではありますが花火特集をかわるがわる取り入れるようになり今日に至っています。
 1993年あたりから世紀末の1999年までは、創世記のもっぱら電話取材で事足りていた特集は、飛躍的に発展を遂げてきました。競争誌が増えたことで各紙とも独自性、差別化を図ることに努力し、網羅する花火大会の数も充実していくのです。
 たとえば、ある年の特集のために、前年度に同じ場所の花火大会を実際に観覧して取材しているような企画もみられ、かつてはデスクワークだけで原稿をつくり郵送や出入り編集業者を使って写真を集めていたのですから大きな進歩でした。現地取材も、アルバイトを動員し、1つの花火大会で多角的な(様々な観覧角度から)観覧リポートを取っています。付随する周辺マップも小さな簡略地図から大型化し、人海戦術でコンビニや自販機の位置まで克明に記載するような驚くべき詳細地図に変貌していきました。さらに同様に多くの人手を使って現地在住の商店や、地元の住人などにおすすめ観覧場所をはじめとする地元情報を獲得しています。
 日程情報をベースに、花火の様々な知識を囲み記事等で入れたり、会場周辺の食事場所や宿泊場所の紹介を中心とする散策情報、おみやげ情報なども特集を膨らませる要素として盛り込まれていきます。
 情報誌が掲載する花火の写真は、現在でもほぼ調達に資金のかからない、各主催者、観光協会からの借用、またはその編集部やプロダクションが日頃から花火に限らず利用しているフォトエージェンシーからの借用が中心です。
 ひとつの花火大会に一枚の写真を掲載する現在のスタイルでは、網羅する大会を増やせば、当然使用写真のサイズは小さくなります。ですから写真の質を問うようなものではなく、あくまで信憑性をたかめるためのビジュアルに留まっています。編集サイドにしてみても過酷な制作スケジュールからすれば、穴埋めの花火の写真などその大会の写真が「ある」か「ない」か?以上の認識は無く、したがって質は問わずどんな花火の写真でも良かったので、売り込んで小銭を稼ぐカメラマンにとっては楽なシノギだといえるでしょう。それでも現在は情報誌の数が全国的に多くなっているので、にわか花火写真家にとってもそれなりの収益はあるのかもしれません。

花火大会特集の恩恵と現在まで

 この10年間で、網羅する花火大会の数、地域とも飛躍的に増え、全ての読者にとって地元以外の数多くの花火大会が存在することを知らしめたのでした。単に地元の花火大会の開催日を知る、ということを越えてあまたの花火大会の中からその年に出かける花火大会を趣旨選択する、有名な花火大会にはわざわざ出かけるという新しい情報利用に変わっていったのでした。それが情報誌の花火特集の果たした最大の変化です。 
 1990年代後半、ぴあ誌、Walker誌、一週間誌ともに東京圏から販路および情報取り扱いエリアを拡大していきます。ぴあ誌には関東版、関西版、中部版があいついで出版され、Walker誌は東京版についで1994年の関西版を皮切りに東海版、九州版、千葉版、横浜版と順次発刊、2000年度にはついに北海道版、神戸版と網羅地域を増やしていきます。一週間誌は東京に次いで、大阪一週間を出しました。当然ながら各版で各地域限定の花火特集を独自に展開しているわけです。
 同時期に、さらに紹介するだけでなく有料観覧場所や宿泊場所を編集部で予約して特等席として提供するサービスなどが加わりました。このあたりから各誌とも次第にその年の最初の花火特集号を出す時期が早まっていきます。
 1998年度まではこの時期は6月の第一週でほぼ足並みが揃っていました。それでも一般人が花火気分を感じるのは、やはり7月の半ばを過ぎてからのことで、これはインターネットのHPアクセス数の統計データを見るときわめて明瞭な結果となっています。ところが1か月以上も早くに書店に並ぶ特集号は、そうした実際の気分とは大きくかけはなれています。そうして花火気分を感じるころには、もう花火情報は身近にはなくなっているという不便があったのです。もし買い漏らしてしまえばそれで終わり、でした。
 各情報誌もこれには気が付いており、6月第一週あたりで出す号については他誌とのかねあい、セールスを考え、動かしませんでした。それをフォローするために、1992年辺りで早くも各誌は花火が近づいてくると、「今週の花火大会」等と称して週ごとの開催情報をいわば、再確認あるいは補うように単なる「同じ内容の繰り返し情報」を掲載するのです。または、花火特集第一弾、第二弾、と週を空けて続けていくような情報誌もありました。
 1999年はこうした最初の出版日(暗黙の解禁日)が破られた年としてターニングポイントだったといえるでしょう。こうして各紙とも独自企画や実地取材などで内容を豊富にしてきたのですが、ある情報誌が他誌に一週間ほど先駆けて、花火特集号を発売したことによって一気にそうした傾向は崩れていくのかも知れません。
 こうした花火大会特集号ですが、一般の読者にとって最大の関心事はあくまで「お目当ての花火大会がいつ開催されるか?」につきます。ですから花火マニアでもなければ一度に同じ様な情報誌を何冊も買い求めることはありません。花火の日程はどこが掲載しても同じですから、最初に書店に出した情報誌が売り上げの主導をとってしまう、という実に殺伐とした現実がそこにあったのです。いくら工夫し、時間をかけて良い内容の記事を組んでも結果として他誌に先を越されれば、売り上げに結びつかない、という担当編集者のやる気を思い切り殺ぐ結果でした。
 先行した情報誌は、時間の掛かる取材記事は後回しにして、とりあえず創世記のように日程だけをおさえた制作、印刷までに時間が掛からず早く完成できるいわば「速報版」として抜け駆けたのでした。
 このことは他誌にして「来年はもっと熾烈な争いになる」といわしめたほど慚愧に耐えないフライングでした。もとより通常号より確実にセールスがあがる花火特集号は、担当編集者の営業サイドからのプレッシャーもあり、各誌はほぼ同時発売される他誌を買い求め、研究し、翌年の企画に反映させるということで内容を高めてきたのです。ところが「早く書店に出したもの勝ち」となれば、それほど単純明快でつまらない現実はなかったでしょう。10年近くを経てとどのつまり読者が求めているのは、いつ、何処で、何時から、問い合わせ先、といったことに過ぎないと解釈されたのでは、これでまた創世記に逆戻りでは?と懸念しています。
 すでに2000年度の最初の花火大会特集号は、これまでよりさらに2週間も早く、5月中に出ています。実際の花火気分とのギャップはよほどのものとなり、各情報誌はこれを埋めるためとりあえずの「超速報版」。最初のセールスが安定したあとの本命の「充実版」。7月半ばに入って本来の花火シーズンが来ると「開催週ごとのフォロー版=(今週の花火大会情報など)」と実にきめ細かく花火情報掲載号を出していくことになるのでしょうか。
 こうして過去最速に花火特集号を店頭に出すことに成功した某誌には「どうだ、今年はウチが先んじた」という雪辱を晴らさんと力んだ姿勢が見えています。内容も約一ヶ月前に確保できた情報のみといった中身の薄さで、まさに一刻も早く紙面に出すがためのもの。まるごと一冊買ってまで手に入れたい情報ですらなくなっています。こうした場合、追って出すであろう詳細版だけ出せば充分ではないでしょうか。
 この号では、5月22日発売なのに、花火情報は5月15日現在と記載されています。雑誌の制作スケジュールからいって、15日に最終確認、入稿、校正、印刷、製本、配本を1週間以内というのは少々無理であろうと思います。
 情報誌の花火大会特集は、近年閉塞状態にあると感じます。花火のことを知らない編集部では、日程情報以上の企画をこれ以上打ち出せず、結局各誌似たり寄ったりになってしまっているからです。そのあげくが差別化のための企画性を無にする速報合戦ではまさに不毛といえるでしょう。そういう意味で2000年は原点に戻る年なのかもしれません。

情報誌利用の注意点

 さてこうした情報誌を利用するにあたり、一般読者は念頭に置かなければならないことがあります。
 まず情報誌の情報の性格について考えてみましょう。
 情報誌で紹介する花火大会の各情報は、いまのところ、主催者発表の内容の集合体であるといって間違いはありません。どこがいいかしら?と見比べても各主催者がこう言っております。という内容ですから、一定の評価基準で書かれているものではありません。おすすめや見所についても「地元の人間がこう言っている」というものですから、それは他と比べてどうなのか?の判断材料にはなりません。
 花火大会特集記事の内容は、食べ歩きによる「美味しいお店ガイド」に似ています。たとえばそれなりの食通や、グルメ評論家がひととおり食べ歩いて、それぞれの評価や感想を書いているのと、お店の客や周辺住民に評判を聞いたものとでは信頼度はかなり違った物となるでしょう。
 花火に関しては、そのようなあちこちの花火大会を実際に観た上で、確かな判断で感想を書けるような書き手が居ませんから、そうした内容はどんな情報誌も掲載することができません。
 そこで手に入りやすく、信憑性の高い「数値データ」を併載するのが当たり前になっています。
 つまり規模を(内容でなく)表現するだけの「(主催者発表の)打ち上げ玉数」、「(主催者発表の)昨年度の観客動員数=混雑度」などです。残念ながら一般の読者サイドも明快な内容評価はないのですから、こうした数字を見て判断するしかありません。それが高じて近年では玉数ばかりがひとり歩きする結果となったといえます。ところが情報を載せっぱなしの雑誌と違って、読者は実際に検証するのですから、公称の玉数が実際に打ち上げられるそれと大きくかけ離れていることなど、とうに気が付いています。すると今後は大会選びのポイントはどこにあるのだといえるのでしょうか?
 数値データ以外の開催内容部分は、相変わらず電話取材や記入シートを使っての取材が主流です。こうした数字や電話番号などは確認がとりやすいのでずか、開催内容や花火内容になると、取材している側、応じている側双方が花火について詳しく無い場合がほとんどで、間違いの発生が多くなります。
 例えば4号を4尺と10倍も大きいサイズで言ったり、4,000発を40,000発などと景気良く10倍も多い玉数を口にしてしまったりします。近年の最大の間違いでは、10号20発打ち上げを、30号(三尺玉)20発と記載した情報誌がありました。我々マニアは読んだ瞬間に「そんなバカなこと」と誤りに気がつきますが、確認せず現地に向かった読者もいたにちがいありません。
 重要なのは、各人での再確認作業だといえるでしょう。
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