第76回 大曲全国花火競技大会における
投光器の弊害事例
秋田県・大曲市

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観覧場所から左方向
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観覧場所から右(下流)方向
 
 観覧コンディションの劣化については、晴天順風だったとしてもいくつもの問題を感じた。
 その中でも無理、無駄、無用、無粋の極致が、堤防道路や河川敷通路、階段に累々と並ぶ大量の投光器だろう。写真上、右(拡大あり)を見て欲しい。写真は打ち上げ真っ最中のもの。これほどの大光量のものを打ち上げ中も点けっぱなしだ。地方でこれほどのことをやる花火大会はまず見たことがない。かつては大曲だってこんなことはしていなかった。投光器はあるにはあったが、堤防の下の道路に遙かに少ない数で置いてあった。それがこうなったのも昨2001年度からだから、「全ては明石に始まった」なのである。
 膨大な数の投光器が作り出す光は、湿り気味の大気とともにすさまじいディフュージョン(拡散)とハレーションを発生し、あたりは昼間の様に明るく、周りの空は真っ白に見える。打ち上げ側の花火業者から見たら、対岸の土手はさぞかし白いだろう。とにかくまぶしすぎて、前を見ていても光が瞳の端から飛び込んでくる。もちろん辺りに投光器の無い桟敷席や、その後方近辺の客にはあまり影響がないかもしれないが、堤防近辺やその斜面の客は投光器の発電器の運転音と排ガスとが相まって影響大である。
 こんな煌々と照らされる中で、全国から集まった有名花火業者の技の競演を見ろってか?
 映画館にたとえれば、
 「大曲シネマ劇場では、お客の足下の安全確保、スリ、盗難防止のため、上映中も館内の灯りを点けたままにいたします。通路は緊急車両が通りますので歩かないで、移動には各客席を乗り越えて行って下さい。」
 というようなものである。名作も台無しだ。
 だいたい、堤防道路は、通行(歩行)禁止、観覧禁止のはずなのだから、通行人の安全確保のための設置なら根拠が何もない。その場所を午後も明るいうちから、花火終了後の深夜まで、投光器を点けっぱなし、というのがまったく意味不明だ。花火が終わる頃点灯し、帰宅客のために足下を照らせばいいのである。何のために真昼のように照らし出しておく必要があるのだろう。考えれば「抑止効果」だろうか。薄暗くしておくと、誰か堤防を歩くヤツがいるに違いない。座り込んで観るヤツがいるに違いない。ゴミを捨てるヤツがいるに違いない。そこらじゅうで用を足すヤツが続出するに違いない、という監視目的だろう。確かに、トイレが混んでいるから、ちょっと後ろの堤防を降りて小用を足そう、などど考えても、四方からその一部始終を大光量でライトアップされる、となれば初志貫徹にはよほどの根性がいるに違いない。

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