発行 サークル花火万華鏡
編集同人 川上信定 武藤輝彦
矢野誠一 猪瀬哲男
奥村 純 小野里公成
発行所 〒201 東京都狛江市
和泉本町2-34-4 武藤輝彦内
定価 年4回発行
1500円(送料共)
郵便振替 00130-9-663056
花火万華鏡最新第13号より一部の記事をご覧になれます。
●FRONT PAGE
芝居気たっぷり川開き -ジャーナリスト・コラムニスト 徳間孝夫
●連載
花火いのち(13)山野草に囲まれて -川上信定
割物 -清水武夫
花火大会よもやま話(12)豊田おいでんまつり花火大会-奥村 純
●研究
全国手筒・大筒花火打揚状況(その3)
サァ!みんなで、我々のルーツを探し出そう(1)-川越重昌
親みちを生むまで -30年前のこと 兼重 章
プラスチックトーチ物語
●特集 花火競技大会審査考(1)
大曲の審査結果が投げかけたもの -小野里公成
土浦と大曲の役割 -武藤輝彦
花火競技大会の採点法・私の場合 -奥村 純
●話題
電飾花火の出現
●NEWS TOPICS
花火競技会の成績
米国で鉛化工物の使用禁止
21世紀を迎える花火!
●COLUMN
若い花火師の夢 -山内浩行
質問箱
万華鏡
●サークル紹介
手作り花火大会 -平成淀川花火大会運営委員会 花火企画委員長 古賀郁郎
●編集後記
FPONT PAGE
芝居気たっぷり川開き
徳間孝夫
むし暑い夏の夕方だった。私は前後左右に気を配りながら、急ぎ足に馬道を歩いていった。向うから来るのが綺麗な女でも、中には「明治一代女」のお梅みたいなのがいるから、油断がならない。
折悪しく、途中で降り出した。眼鏡が曇る。ますます危い。破れ傘で顔を隠した浪人者が、すれ違いざま斬るかもしれない。キラッと光ったら、横っ飛びに田んぼに逃げようか?
だが我に返ってよく見れば、右手は車の往来の激しい大通りで、田んぼなどどこにもない。これは江戸時代ではなく平成10年なのだ。現代の東京に浪人や追剥(おいはぎ)などが一出る気遣いはなかった。ヒロさんに電話で道順を聞いたとき、彼女は「浅草から馬道を真直にいらっしゃい」と言った。関西人の私は、その一言で馬道という地名が健在なのを初めて知った。たしか吉原遊郭に通じる一本道で、江戸の昔からあったはず。維新と大震災と戦災と売春防止法を経てなお、地名は続いていたのか。
黙阿弥の芝居によく出てくる。馬道では必ず刃傷沙汰がある。五十両・百両を懐中して吉原へ急ぐ男が暗い道で斬られ、死骸は傍らの田んぼに捨てられる。だから私は、初めて実際の馬道を歩く興奮ですっかり、劇中人物になっていた。行き交う人が、みな怪しく見えたのだった。
本降りになってきた。雨宿りする場所がない。と、若い娘が私を呼び止めた。
「お困りでしょう。この傘、お持ちください」
「エッ?」
馬道で物を貰う筋書きは、私の知る芝居にはない。しばらく、「では売ってくれ」「いえ差し上げます」と押し問答のあげく、私は貰ったビニール傘をさし、おかげであまり濡れずにヒロさんちに着いた。後で思えば、親切な娘さんはイチロー氏の経営するビジネスホテルの従業員で、そこはホテルの正面入口だということだった、
川口ヒロさんは紙商枡屋の家付き娘である。大正4年生れを娘呼ばわりはかえって失礼だが、淑徳高女を出て丹羽文雄らの文士グルーブと親しかった頃は小娘だった。戦争が始まって物資不足になり、仲間に「君の家は紙問屋だろ。文学やるより僕らの原稿用紙を作ってくれよ」と頼まれ、家業に専念するようになった。私も30年来、彼女の原稿用紙を愛用している。
「今年の川開きには、ぜひお出でなさい」とお招きを受け、私は去年初めて両国の花火見た。ヒロさんの家と店はずっと駒形だったが、地上げされて浅草5丁目に移りビルになった。窓を開けば花火見物の特等席である。
雨模様だったが、じきに打ち上げが始まった。私は結構なお料理で冷酒を頂戴しながら、ゆっくり眺めた。僕の座敷にはヒロさんの孫娘(東大生)のクラスメートが大勢来ていて、スターマインが開く度に喚声が上がった。
その席で聞いた話だが、花火を見事に開かせるのは、煙火師の技術をもってすればさほど難しくない。問題はカキッと一斉に消せるかどうかだという。満開の桜より散る花に風情がある。どう生きたかより、どう死んだかで人の一生が決まる。花火も、いかに美しく消すかに心血を注ぐのだと聞いた。生より死に、光より闇に、日本の美はある。
帰途は馬道を通らず、車で入谷の地下鉄の駅まで送ってもらった。これも三千歳直侍の「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」ゆかりの地名である。戦前からずっと両国の花火を間近で見上げて夏を迎えてきた人に招かれ、妙に芝居気づいた夏の一夜だった。(ジャーナリスト・コラムニスト)
連載・SERIES
花火いのち(13)山野草に囲まれて
川上信定
「……逆に、一輪の野の花の方が、栄耀栄華の作り出すあらゆる美しいものよりもっと美しく、本当に神の手技の見事さを示すものを持っていることを知っていたからであった」
一これは、私がこの十年で読んだうち最も美しい小説、吉野光『撃壊歌』の一節である。
戦中から戦後にかけ、飯田南郊の旧家で、いつか訪ねるであろう大陸の奥の桃源郷を想像しながら、少年から青年へと成長していく「私」の魂の変遷を主題にしたこの小説こは、実に多くの花が登場する。旧家の庭の中央の紅白に乱れ咲く垂桃、その傍の福寿草やクロッカスや九輪車。さらに、ホタルブクロやミゾソバやアキノキリンソウやママコノシリヌグイといった野の草。
本稿を書いているのは、まさにその垂桃(花モモ)真っ盛りの四月半ば。つい先日も、埼玉の北本市まで「蒲ザクラ」を見に行った折に、花モモの里ともいうべき小集落に紛れ込んだ。春の雨を受けて白とピンクに咲き分けつつ、優雅に垂れ下がっている枝の様は、少し艘れて見ると神が人間に与えた豪奢なモールとしか思えなかった。
この数年、東京の細谷エンタープライズのテーマは桜のようであるが、垂桃のピンクは細谷さんの作り出すピンクに非常に近い。白を混ぜ、垂れの技をうまく工夫して垂桃にチャレンジしてほしいと私は願っている。
花モモの里には、菜の花、タンポポ、ハルノノゲシ、レンギョウ、ヤマブキも渡れ咲いていた。いずれも黄色い。歩きながら、つい今しがた見てきた花モモやサクラのことを忘れ、「春は黄色だ」と思った。ニガナ、ジシバリ、オオジシバリ、タンポポ、イヌガラシ、サワオグルマ、タビラコ、ヘビイチゴ、マンネングサ、ミヤコグサ、リュウキンカ、カタバミ……思いつくまま黄色の春の花を数えたら46あった。サンシュユ、トサミズキといった木に咲く花も含めてだ。
これを、花火で表現できないものだろうか。よく見かける、「四季の花園」といった、イメージだけのスターマインではなく、グリーンとイエローで現実の野の花を空に咲かせてほしいのだ。
私は春から夏にかけ「野歩き」と稼して毎週のように郊外の田や畑や林を歩く。そして「神の手技」によるとしか思えない野の花(例えばセリパとエンソウ)に出くわす度に、山野草には(花火の)ヒントが溢れているよ」という先代青木師の言葉を思い出すのである。
先にあげたジシバリもニガナもサワオグルマもタンポポも、すべてキク科である。タンポポはすばらしい花火となったが、候補はまだいくらでもある。どうぞ花火師の皆さん新しい花(火)に挑戦してください。1パイ飲ませてくれればいくらでもアイディアを提供します。
サークル同人・新刊「花火大会に行こう」著者
割物
清水武夫
花火の美しさは光、音、煙とそれらに伴う色彩、運動、量などで構成される一種独特な緊張美である。そして暗黒の夜空を背景にして、瞬間に光の菊花模様を描き出す割物は、最もよく花火の美しさを代表する。その光が弱くまた強く、その運動はよく揃ろっていて、その描く菊花弁はまっすぐに伸び、花弁の数はなるべく多く、配色は適当であって変化を伴い、花一輪の拡りは適度であることが良い花火とされている。すなわち割物の芸術的効果は色彩効果と併わせて、均斉と量と変化が尊ばれる。
ただしここで注意を要することは、花火の美しさは他の芸術の場合と同様に、人の視覚や聴覚を通じてその心を捉えることにあるから、上の要求は必ずしも物理的なものを指しているのではない。例えば物理的に光星の運動が曲がっていても、眼の感覚で緊張して見えればそれで良いのである。また眼の生理現象にも注意が必要である。最近は八重芯花火のほかに一、三重芯も段々作る花火家が多くなったようであるが、あまりに色変化が多いと眼がそれに追随しなくなる。1つの星も色も決して粗末に扱ってはならない。
古来、花火家の努力は割物の研究に集中されてきた。しかしそれは「眼に見えるもの」に偏っていたようである。光を発する星については相当な工夫がされているが、これを飛ばす原動力になる割薬については、はなはだ構造かせ粗末である。これにはさらに工夫が必要であろう。
花火現象はその色彩と形状において時間的な、あるいは空間的な変化が尊ばれる。従って花火の製造には多種類の材料が必要になり、また多様な工程を経なければならない。そうして花火用の火薬には、いろいろな要求に応じて使えるような、混合火薬類がほとんどである。これらに用いる原料薬品や配合を終った火薬頚は、爆発または発火の危倹防止上、相互の混合を絶対に避けねばならないものがある。特に割物の結合工程では、各種の火薬や部品が1つの玉に集中するので、このような火薬同士が紙一重を隔てて対時していることが多い。従って手作業で静かに扱うほかはない。この玉込め作業は花火家が最も神経を使うところで、工室は専用で作業者はせいぜい2人が最適である、1人は熟練した作業者で1人は助手である。
朝家を出る時は靴を履きながら、靴紐を締めながら、「今日の仕事が無事に終りますように」と密かに祈るのである。どんなに無宗教の人でも、ここではこうなるのである。玉込めが終ると、次は玉貼りの番である。この作業はクラフト紙を短冊形に切ったものを、何枚も重ね貼りをする。そして中の劇薬が爆発した時、花の大きさをどれくらいにするかその玉の貼重ねの数で決まる。途中で何回も乾燥させる。この作業が最も手数がかかり、花火家の泣き所である。最近は機械貼りも行われるようになった。紙質が重要であるが、この玉貼り作業が今日の課題の1つである。
花火愛好家奥村 純の
「花火大会よもやま話」(12)豊田おいでんまつり花火大会
武藤庫彦著「ドン!と花火だ」の表紙写真に掲載され、その写真担当の小野里氏より、素晴らしい花火大会として、勧められていた。“豊田おいでんまつり花火大会”であるが、筆者が最初に見学したのは平成6年と最近であった。主催に中日新聞社等のマスコミも入っているが、主体は豊田市観光協会で、それ程、新聞等マスコミで大きく取り上げていないため、筆者はこの大会に気がつくのが遅れてしまった。
そして、当大会を見学して、小野里氏の言葉通り、その素晴らしさは日本でトップクラスの花火大会であることを確認した。“豊田おいでんまつり”という、踊りと花火がメインのまつりの中で、7月の最終日曜日に、矢作川河川敷を利用して開催される、花火大会である。
花火会社は、青木、磯谷、加藤、挙母、三遠、田畑煙火、田村、豊田(愛知県)、森の9社が参加している。
1 多彩な花火が棄しめる
花火の内容は、4、5、8、10号の一般打ち上げ、手簡、枠仕掛げ、スターマイン、メロディスターマイン、日本煙火芸術協会特別作品の5、8、10号、スターマイン、ナイヤガラと、非常に充実している。4、5号の早打ちはワイドに、豊田大橋を挟んだ両側から打ち上げ、玉の種類もほぼ統一され、さらに中央から8、10号を打ち上げる時もあり、夜空いっぱいに、花火が開くように工夫されている。
8、10号については、青木、磯谷、田村の3社の高品質な作品のみで、八重心菊まで入っており、花火ファンにとってありがたい限りである。裏打ちを含めて約50台のスターマインは花火会社毎に打ち上げており、玉の組み合わせ、星の明るさ、色の良い悪い等、花火会社により違いが出ており、多様なスターマインが楽しめる。最近は各地の大会で実施されている、ワイドスクーマインは確かに迫力あるが、それも毎回となると慣れてその効果が薄れてしまうことから、当大会のように5台ぐらいというのは適切であると考える。さらに打ち上げ場所の間隔を広く取ってあり、幅広く花火が開くことにより、ワイドスターマイン本来の豪快さが体験できる。特に最後の五色スターマインは、5ヵ所から各色を段打ちで上げ、その後銀冠または、錦冠を一斉に打ち上げて、当大会を終了しているが、ワイドスターマインの効果を最大限引き出している、素晴らしい花火である。
これだけ多彩なプログラムで、花火を堪能できるように工夫を凝らしているのは、主催である豊田市観光協会に花火を熟知した、職員が在籍され、強力なリーダーシップのもと、花火会社と協調して、このような素晴らしい花火大会を演出していると考えるが、今後も頑張っていただきたい。
2 日本煙火芸術協会特別作品
各地の大会で日本煙火芸術協会の作品を上げているが、当大会ほど、多数の作品を上げている大会はない。平成10年で、5号210発、8号40発、10号21発もの銘花を上げた。豊田大橋を挟んだ2ヵ所からワイドに5号の同一作品を5発ずつ上げるだけでも立派なのに、同じく芸協の8号あるいは10号を中央から、5号と同時に上げている。ワイドに上げているから、主要会場から見学する限り、花火は重ならないとはいえ、3発同時に注視できるほど、眼も良くなく、全ての花火をしっかりと見れないのは残念である。しかしこの3ヵ所、同時打ち上げ、贅沢過ぎであり、8、10号は、それのみで十分に観賞できるので、1発ずつ上げるべきである。
一流花火家の8、10号八重心菊、千輪菊は、普通の花火大会で簡単に見学できないのである。
平成10年の大会で、8号芸協の最後の玉で青木煙火店がプログラムに出ている玉名と違い、昇り付三重芯変化菊が開花し、びっくり仰天してしまった。これだから芸協の花火は、精神を統一して凝視せざるを得ないのである。このような芸協による一流花火家の自信作を見学すると、日本には多数の本当に素晴らしい花火があるのだと、改めて認識させられる。
3 メロディスターマイン
当大会の名物花火で、磯谷煙火店が担当している、かって音楽花火というと、バックグランドミュージック的に音楽を流し、それに合ったイメージの花火を上げていた。筆者にいわせれば、本当に合っていたのは少なく、音楽を流さない方がずっと花火が良く見えるのにと、残念に思うことが多かった。しかし、コンピューターを使い始めて、音楽のテンポと合わせて花火を打ち上げられるようになり、花火を効果的に鑑賞でき、音楽も心地好く聞こえるようになってきた。
現在、本当に音楽付花火といえるのは、磯谷のこの豊田と、ふくろい遠州における、メロディスターマイン。丸玉屋の横浜金沢八景での花火ファンタジアと、大曲全国花火競技大会における大会提供のスターマイン、ぐらいと筆者は考える。当大会では毎年3曲をコンピューター使用により打ち上げているが、最後の1曲は「OIDEN」で毎年同じだが、花火の内容は毎年変えている。1ヵ所から4ヵ所で、ワイドに各種花火を音楽のテンポや感じにより打ち上げている。さらに、強いアクセントの所では一斉打ち上げを実施し、音楽に合致した花火となっている。曲の選択、花火の組み合わせとタイミング等々について、多大な時間を費やし、非常な苦労をしていることと思う。そして大会当日のセッティングは勿論のこと、電気コードも多数になり、実にご苦労なことである。
このメロディスターマインの打ち上げには、まさに時を忘れ、光と音の完全なスペクタクルショーとなっており、花火ファンばかりでなく一般の観客も多大な期待を寄せている花火であり、今後もますます素晴らしい演出を期待したい。花火家といえば、かつては火薬の知識としての化学、光の組み合わせ、変化、動き等に対する芸術性、その他を勉強すればよかったのだが、電気点火の導入で電気の勉強、コンピューターの導入でコンピューターの勉強、さらにこのようなメロディスターマインを打ち上げようとすると、音楽の各種知識まで要求されるようになり、花火家も大変な時代になったのである。
(中略)
7 まとめ
愛知県豊田市の矢作川河川敷で、毎年7月の最終日曜日に開催される、日本でトップクラスの花火大会である。出し物も、手筒、日本煙火芸術協会特別作品(5、8、10号、スターマイン)メロディスターマイン等々と多彩で、開催時間が19時15分から21時20分と長時間にもかかわらず、全く時間を感じさせない構成となっている。
参加花火会社9社だが、特に8、10号の打ち上げは、青木、磯谷、田村のみの高品質な玉が出品されており、花火ファンならずとも感嘆の声を上げている。
芸協の5、8、10号さらにメロディスターマインと素晴らしい花火が目白押しで、花火ファンの評価が高いのは当然として、花火家の評価も極めて高い大会である。有名花火大会の常として、場所取り競争が激しいので、よい場所での見学はとにかく早く会場へ行くことである。今後とも、このような素晴らしい花火大会を続けてもらいたく、主催者へ切にお願いする次第である。(終)
12回にわたって、各地の花火大会について、とりとめのない話を書いてきたが、大規模な大会で、筆者が何回も見学してきた大会も少なくなってきたので、当「花火大会よもやま話」も今回で終りとしたい。間違い、勘違いなどが多々あり、関係者の方々に多大なご迷惑をおかけしましたが、花火について素人ゆえ、お許し願いたい。ふくろい遠州の花火、平成淀川花火大会、山形赤川花火大会等素晴らしい花火大会が、全国で開催されているので、今後とも、健康、時間、金の許す限り、行脚を続げたいと思っている。
拙い話を購読いただいた、当万華鏡の読者の皆様に厚くお礼を申し上げたい。
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特集 花火競技大会審査考(1)
審査結果が投げかけたもの
小野里公成
妥当性が問題だ。
スポーツの世界でも「誰が一番速かったか?」「誰が一番遠くまで達したか?」など、得点、時間、距離、高度といった数値データで、誰にも勝ち負けが明快な競技に比べれば、芸術性や技能性を競う競技の評価は主観的でわかりにくい。競技によっては、明快な審査基準に基づいた適正な審査員の判断力による「審査」が必要になってくる。芸術や技能は評価もさることながらその結果を「なるほど妥当であった」と誰もに納得させることはより難しいと思う。「出来の良さ」を競う花火の審査も同様だ。
競技花火大会は煙火業者の持ち出しが多い。通商産業大臣賞などのいわば名誉賞をかけての参加とはいえ、花火代や運搬費の大部分は自腹という競技大会が殆ど。だから業者の誰もが納得する適正な審査員と審査基準による正当な評価。または一攫千金ほどの賞金というギャンブル性。もしこのいずれかが無かったら、はたして競技花火大会に煙火業者は「ヤル気」を持ち続けられるのか?ふとそんないらぬ心配がよぎる。「どうせまともな審査ではない」から「適当な玉を出しておけばいい」。そんな風に短絡してほしくないが、そういう誘惑は今やすでにどんな競技大会にも潜んでいるのではないだろうか?
もちろん様々な競技花火において常勝の、または常連の業者であるなら「それが世の中」と達観して構えておられるかもしれない。しかし研鑽途上の煙火店にとってはその競技大会は、権威に見合った審査がなされていると思いたいではないか。
各地の競技花火大会では、これまで私の見る限り概ね妥当な結果が出ていると思うが、合点の行かない審査も少なくない。
その一因は、芸術面・技術面にある程度加味される「郷土愛」のせいかもしれない。オリンピックですら開催国にあたれば躍起になるように、地元の業者が入賞しないのでは主催者もスポンサーも面白かろうはずもない。もはや我々愛好家もこうした点では杓子定規でなく、「お祭り」と割り切り、苦笑しながらもこうした郷土愛も可愛らしくさえ思う。ただし地元組の入賞枠が「見えない指定席」としてあったにしても「まぁ仕方ないかな」と思わせる作品を披露した場合に限る。地元組だって「やはり」と思われないだけの花火を打たねばならないからかえって面白い。
この特集の発端である、98年大曲の優勝結果にはこうした地元びいきもなさそうだ。私のようないち愛好家が「まさか?」と思うのだから、参加者である煙火業者はこれで納得するのだろうか?
私はこの時の結果を知り、思いも寄らないところが入賞したことより、大曲がその競技大会としての権威を自ら失墜させる瞬間を見た気がして愕然とした。大曲の伝統、競技会としての権威、質の高い出品作、参加煙火店と主催者との信頼関係、それらに厳正で公正な審査も外せない要素ではなかったのか。
結果は不自然に妥当性を欠いた。創造部門優勝以外の全入賞者は作品に相応しい選考であったからだ。さらに創造部門優勝の煙火店は「素晴らしい八重芯」を放ったにも関わらず、割物部門ではカスりもしていない。
しかし今回の問題は競技規約を遵守しているなら、出品した煙火店自身の問題ではない。参加のチャンスを得たからには、優勝に相応しい作品を披露すれば良かっただけのことだ。そうすれば参加までの経緯はともかく、誰もが賞賛の拍手を惜しまずこの特集も存在しなかった。各方面からの名指しについての批判もあたらないのではないか。権威ある競技大会でまがりなりにも「優勝」を勝ち取った煙火店が良くも悪くも評されるのは当然である。優勝者はその重みを真摯に感じて欲しい。
審判・裁定に異を唱えないのは、競技の紳士協定のようなものだが、今回こうした物議が生じたのは「積年の思いのように、審査のあり方が問われている」からではないだろうか。
現在の審査に無理は無いか、何を根拠に審査しているか
私はあらゆる競技花火大会で常に「不正不当な」審査がされているとは言わないが、その審査結果が「適正な審査員」による「適切な見極め」であるのか?という疑念はある。
たとえば審査員全員が100点満点法で審査するのは無理があるのではと思う。86点と85点の1点の差の根拠は何か?理屈は何も明確ではない。せいぜい5段階評価、「よい、わるい、ややよい、ややわるい、ふつう」くらいだろう。第一、私自身も実際はこの程度くらいでしか見られない。それでも「良い」評価だけを集めてみると妥当な選択となっている。
参加ルール(競技規約)はともかく、審査基準は、観客にも分かり易い形でオープンにして、プログラムなどで審査ポイントの解説も記載してはどうか。例えば、形、配色、斬新さ、技術性、まとまり、といった各ポイントで5段階評価しているなどの簡略と明解化である。
同時に結果発表には、受賞者名だけでなく納得のいく経緯も公開にしてほしい。「その出品作の何をもって賞を与えたか?」である。参加者にとっても何が評価されたのかが分かり易い。
合点がいかない結果が飛び出すのは、審査員の構成も問題だろう。いちおう栄冠の冠スポンサーである各省庁の役人を招待するのはともかく、瞬間の美の審査をさせるのは無理だし、出品者にとって気の毒というものだ。普段花火に縁がないこうした方々は、紅白歌合戦のようにサブの一般審査員になっていただいてはどうだろうか。メインの審査員席には花火に対してそれなりの見識を有する者が座るのがだいたい参加者への礼というものだし、そうでなければ競技開始前にもう適切な審査に期待できそうもない。技術面や芸術性を評価するのだから、肩書きが立派なら誰でもいいというわけにはいかないだろう。
もしこうした招待の非専門審査員に評価させるのであれば、前記したようなより分かり易い採点表で採点してもらうとよいだろう。
観客の反応もひとつの評価だし、むしろこれがもっとも正直で厳正な審査かもしれない。なぜなら一般観客の選択肢はもっと厳しく「よい・だめ」の2段階しかないからだ。「観客の歓声が最大の賛辞」と受け取る煙火業者も多い。だから観客から無作為に選出した一般審査員を設ける意味があるし、また審査員の中には観客の「ウケ」に気を配る担当の者がいてもいい。
スポーツを含めた他の競技と同様に、多くの観覧客もまた審査員と同時に出品作を観ているのである。審査の結論は注目と監視を集めている。万人の納得しない結果は、その競技花火大会の権威と公正さ、存在価値を失墜させる。
審査員も、主催者もその競技花火大会の業界全体における位置づけや影響とか権威というものをもう少し深刻に考えていただきたい。与える賞だけが関係省庁のお墨付きによる権威をまとっているだけでなく、その賞を掲げている花火大会そのものが、参加者である煙火業者に対してその権威にふさわしい審査と運営をする義務がある。(編集同人)
特集 花火競技大会考(1)
花火競技大会の採点法・私の場合
奥村 純
筆者の花火競技大会の見学は、昭和37年の京王多摩川花火コンクールに姶まっている。当大会は昭和42年で中止となったが。そして、昭和42年から、土浦の大会を昭和44年を除いて、すべて見学して来た。昭和55年からは、大曲の大会をほぼ毎年見学して、現在に至っている。
他にも、伊勢神宮、八代等の競技花火を見学して来たが、伝統等から、大曲と土浦の両大会が双璧だろう。
筆者の採点方法は昭和40年代から単純で、悪い方から良い方へ、×△○◎、だけである。そして、さらに素晴らしい花火が出品された場合には、四重丸をつけたことがあった。この採点法で筆者なりに、1,2,3位をつけて来た。
さて、大曲でも土浦でも、標準審査玉と承して花火玉を上げ「ただ今の花火の点数は、○○点でした。これを参考に今後の花火の、点数をつけてください。」と放送している。100点法で、花火をまともに採点出来る人が日本で何人いるだろうか?筆者の考えでは、花火家を除いたら、恐らく、1人か2人であろう。筆者も採点出来る自信は全くない。
最近は上記の方法に加え、ビデオカメラにより撮影し、後日検証ている。このビデオは、ご存知のように、繰り返し見られるし、しかもスロー再生も出来るので、かなり公正な審査が出来る。今後の競技大会の審査には必ずビデオを加えて、公正な審査を願いたいものである。
NEWS
米国で鉛化工物の使用禁止
アメリカ花火基準研究所・AFSL(AMERICAN FIREWORKS STANDARDS LABORATORY)の会報によると、バリバリの音物花火に鉛化工物(鉛丹・酸化鉛)が使用されているものは、2000年8月1日から全て陸揚拒否される予定と警告している。中国で作られる噴水・スパークラーおよび打揚げ花火などのバリバリ効果音に、鉛化合物を使用しているという報告に基づいて、本年1月のAFSLの理事会で次のようなスケジュールを決定した。
*1999年8月1日に鉛含有の有無をテストし、メーカーに通知する。
*2000年8月から、鉛含有の痕跡があれば、陸揚禁止。
*このため関係メーカーは、直ちに鉛化合物の使用を止めるように要請する。としている。
なお検査方法などについては、99年8月までに決定する予定とのことである、約35年前昭和41年(1966)にアメリカに大量輸出されていたクラッカーボールが鶏冠石に砒素を含有しているという理由で輸入禁止になったことを想起するニュースである。PL決策の厳しいお国柄の処置といえよう。
21世紀を迎える花火!
1999年も5月に入る。来年の正月を花火で迎えたい。はや6ヵ月後のことである。2000年から21世紀なのか2001年が世紀の始まりなのか、いろいろの説があったが、前者に決定したようである。新しい世紀を花火で祝福する。すでにアメリカの業者はこれを目標に、従来に倍する発注をしているという。秋田の業者は友好都市である台湾の要請に応えて花火を打揚げに行くという。日本でも各地で新年を花火で迎えることを期待したい。全国一斉に大空を五彩の光でいろどり、祝砲を轟かせたい。
COLUMN
若い花火師の夢
山梨 山内浩行
花火は打ち上げてすぐに、観客の歓声により反応が伝わってくる。この歓声は私にとって、とても大きな起爆剤となる。この世界に入り、早16年という月日が過ぎた。花火技術も16年の間、飛躍的に進歩したと思う。私には2つの大きな目標がある。そのひとつは、基盤の整備つまり新工場の建設である。この夢は12年前より着手し始め、多くの方々にご支援ご協力をいただき今年中に叶うことになった。
そしてもうひとつの夢。雪国の夜に見た深々と降りしきる雪。そこに青白く光る稲妻。とても言葉ではいい表せわせないほど、衝撃的に感動したのを今でもはっきりと覚えている。いつか花火で表現できたら……と思ったのはいうまでもない。私の一番好きな色は銀色、夜空いっぱいに広がる銀世界はとても幻想的である。この銀色を主として考え、いつか降りしきる雪の中の稲妻を花火で打ち上げてみたい。
花火の技術はまだまだ止まることはないでしょう。そのためにも、昔からの伝統的な花火を基本として、各色の研究を柱に取り組んでいきたいと思う。ただたくさん花火を上げればよいものではなく、多くの人命に感動を、そして夢を与えられたらと……。時代の流れと共に物質的な豊かさよりr心の豊かさ』を求めるようになりました。そしてこれから訪れる21世紀、新たな時代の幕開けに向け、「creation(創造)study(研究)challenge(挑戦)」を三つの柱として、「夜空に描く夢・一瞬のロマン」をテーマに目分自身のポリシーを持ち、花火の製造、打上げに心をもって躍進していきたいと思います。
編集後記・FROM EDITORS
★発刊4年目に入ります。編集子が病魔に倒れたため、ここ2号発行が遅れました。しかし周囲の協力が碍られ、充実する方向に進みつつあります。この季刊紙は花火関係者ばかりでなく、各都道府県取締行政・警察本部・保安協会をはじめ、主なるマスコミ主催者に送付しています。地方分権に移行する方向に対応して、花火業者・愛好者の意向を反映させる必要がますます増加すると考えています。もっと活発に意見・異見を開陳してください。必要なら匿名で結構です。
★火薬の取締規正は、事故・事件に対応して変更されてきました。その経過・歴史を知得した上の施策が望まれます。実態を把握していただくお役に立つことも使命と考えています。それと同時に新しい方向を探求すること力浬まれます。78歳になった編集子は、過去を開陳することは得意ですが、未来指向は若い諸君の分野です。本紙は煙火協会の機関誌「はなび」とは、別の使命を持っているはずです。もっと充実させるために、さらなるご協力を“ズィーと”お願いする次第です。
T.M.生
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