発行 サークル花火万華鏡
編集同人 川上信定 武藤輝彦
矢野誠一 猪瀬哲男
奥村 純 小野里公成
発行所 〒201 東京都狛江市
和泉本町2-34-4 武藤輝彦内
定価 年4回発行
1500円(送料共)
郵便振替 00130-9-663056
花火万華鏡第16号より一部の記事をご覧になれます。
バックナンバーを読む
●FRONT PAGE
縁かいな -田中康夫
●連載
花火いのち(16)夢花火 -川上信定
明治14年版 清水卯三郎氏の著作について その2 -清水武夫
花火大会よもやま話(15)
中国・北京・国慶節 建国50執念祝賀大会花火 見学記-奥村 純
玩具花火あれこれ その3 -山田直人
●寄稿
コンピュータ花火10年
-
國友繁明
えびす講に綴る花火史の1ページ -小野里公成
花火学に学ぶバイオリージョン経営の実践 -赤池 学
安全を売るために -武藤輝彦
●NEWS TOPICS
嘉瀬さんの花火ビデオが銀賞
各地競技大会成績
●COLUMN
若い花火師の夢 -藪田さゆり
質問箱
万華鏡
●サークル紹介
復元花火(大野弁吉の夢見しもの)披露会
-
金沢からくり楽会 理事長
山本勝美
●編集後記
FPONT PAGE
縁かいな
田中康夫
その昔、未だ幼稚園児だった頃、ヴァイオリンを習っていた。鈴木慎一氏が主宰していた才能教育研究会は、毎年、松本で夏期講習を開催する。特急あさまなる代物は未だ存在せず、新宿から非電化区間を列車に揺られ、浅間温泉に宿泊するのが常だった。
母親のみならず妹も一緒で、彼女と共にウァイオリンの練習に励んだ。母親の料理で味覚が形成されるように音感もまた、幼児期の体験に左右されるのではないか。カラオケに興ずる営為こそ未だ変わらず苦手だが、それなりに歌えるのは、ヴァイオリンの成果。
夜郎自大なアメリカから伝播したジャンクフードなる“”飼料”で育った団塊ジュニアが味覚音痴なのも宣なる哉。とは言え、その遥か下の、詰まりは年齢が一桁台の子供が並べて納豆やら豆腐を好んで食するのは、時として後天的味覚よりも先天的DNAの力が勝る実証やも知れぬが。
話は花火であった。否、既に花火と決まっているのだった。
浅間温泉でも奥まった一廓に位置する「びわの湯」が定宿で。などと記してはみたが恐らく、宿泊料金が安価だったからに他ならぬ。然れと、小体ながら趣に溢るる鄙びた旅館だった。なあんて、不惑を過ぎた今だから追憶に浸れる。往時は毎夏、裏山で鳴く蝉を求めて、びわの湯の息子と駆け上った。採集の才は彼の方が、一日、二年の長。お裾分けを何年でも僕は戴いた。
で、夕食を済ませて漸く、主題の花火が登場である。今度は妹も加わり旅館の庭で、と書き進んだ所で、僕らしからぬ叙情的展開に週ぎはしまいか、と当の本人が訝しく感じ始めた。田中康夫は、身も蓋もなき内容であってこそ、辛うじて物書きたり得る、と囁く読者の声も察知し突如、話は伊東の花火大会へと飛翔する。
ラブホテルをブティックホテル、反米ならぬ嫌米、ガングロ女を山姥ギャル、と著作権使用料が頓と見込めぬ造語を作り出した僕の最大ヒット造語は、矢張り、スッチーであろう。スッチー評論家歴20年ならんとする。「よねわか荘」なる旅館に神戸出身のスッチーと出掛けた。優に十数年前の出来事。聞けば、今宵は伊東の花火大会。打ち上げ場所から程近い海岸に、宿泊客専用の桟敷を設けてある、としたり顔で主は語る。
同衾へと至る遥か前から、華麗なる花火が打ち上げられる度に彼女は嬢声を繰り返し、その余韻を夜伽の場にも自分から積極的に持ち込んだ。康夫ちゃんの交際は濃密だから体躯が保たなあ〜い、と常日頃は戯けた我が優を述べていたにも拘らず。
因みに彼女は、その一年後に僕と別れ、合コンで邂逅したビジネスマンと結婚する。名前を挙げたならば誰もが頷く、テレビで始終CMを放映している企業を興した一族に生れ育った相手。今は姑の前では猫を被ってるけど、結婚して子供が出来れば、こっちのものよ、と退職願いを上司に出しながら嘯く、要領の良い相手であった。
尤も、その科白を聞いた彼女の同期とも僕は密かに交接していたのだから、一体どっちが鬼畜だったか、評論する資格は持ち合わせていない。
連載・SERIES
花火いのち(16)夢花火
川上信定
「芯入りの三尺玉をつくった。9月15日に奥多摩で揚げるからぜひ見てほしい」一一今は亡き阿部正平さん(阿部煙火工場長)から電話をもらったのは7、8年前だった。新潟弁のなまりが懐しかった。その年は仕事の都合で小千谷・片貝に行けなかったので久しく正平さんの三尺を見ていなかった。私は「必ず?行く」と答えた。
一つの仕事に長い間打ち込むと、人間こんなにも滋味のある顔になるのか一正平さんに会う度に私はこんな感慨に襲われた。
正平さんをよく知る花火狂のある友人は、ある年く片貝の打揚げ現場で、三尺の打揚げ直後、拳を天に向けて二度三度と突き上げ「行け一っ、行け一っ」と悪鬼のような表情で絶叫する正平さんを見たと話してくれた。それを聞いた私は、玉が巨大な分だけ“三尺師”の苦労もケタ外れに大きいのだなあと感じ入った。
一当日の昼過ぎ、御嶽駅でいっぺん降りた私は川合玉堂記念館をじっくり見て、打揚げ開始1時間以上も前に会場の奥多摩湖畔(小河内ダム突堤)に着いた。
同行するはずだった友人が夏風邪で寝込んでしまったので一人である。膝を抱え、ぽつねんと湖を眺めていると、隣に場所をとった地元の家族蓮れが「よければどうぞ」と大きな握りめしをくれた。その絶佳の味を今も覚えている。
千五百発、見物客三千人程度の小ぢんまりした大会である。それなのに三尺一発、二反二発とある意味では非常に賛沢な大会だ。正平さん予告の三尺は、想像以上にきっちりまとまり、色も消え際も鮮やかだった。ただ、いかんせん、打揚げ場所が2キロメートル以上も山向こうなので、盆の大きさを実感できなかった。大地の振動も巨大なダムに遮られて体感できず、四方の山に長くこだまする轟音だけが観客を驚嘆させた。その後、比較的近くで揚げられた二反玉の完成度も非常に高く、帰路、「ああ、今日は美しいものだけを見た」と充実した気分になった。
翌日、友人宅へ出かけ「よかったぞ。ざんねんだったな」と意地悪をいった。すると友人は床から起き、奥の部屋へ行くと一冊の本を抱えてきた。金園社発行の大木博夫詩全集(3巻)のうちの一冊だった。彼はある頁を開くと黙って私に差し出した。「夢花火」という詩だ。眼を病んで久しい青年「われ」は夏の日を寝て過ごしている。あるタ、河原から花火の音が聞こえてくる。眼帯を取ろうとしたが母親に止められる。その後段は
わが思いなどかやみなん
夜の夢にわれは見にけり、
げに美しき打揚げ花火、そのかずかずを、
花火ちるその下に
かりそめに想う娘の笑みて立てるを。
あはれ、夏の夜の
夢の花火の
いかばかり現のそれにまさりたりけん、
うつつも夢も、おしなべて、今は遠きむかしながら。
一「参った。やられたよ」一そういうと友人は肩をそびやかせつつニヤリと笑った。
サークル同人・新刊「花火大会に行こう」著者
花火愛好家奥村 純の
「花火大会よもやま話」(15)
中国・北京 国慶節 建国50周年祝賀記念大会花火 見学記
1984年10月1日、中国国慶節建国35周年祝賀大会において、北京・天安門広場で何ヵ所から一斉に何度も打ち上げられる花火をテレビで見て、このような花火を見学したいと、長年にわたって夢を抱いていた。
1999年10月1日は、中国建設50周年ということで、軍事パレードもさることながら、花火を打ち上げられると報道されていた。しかし、中国国家観光局などで調査するも、花火について何も分からなかった。
ともかく、厳戒態勢の北京へ向かう。天安門広場周辺は、公安が二重三重の壁を作って、近付けないようになっていた。やっとのことで天安門から1キロメートル離れた所にある、9階建超高級ホテルの屋上に花火観覧席が開設されているのを発見し、そのホテルのフロントヘ向かう。何と飲物付きで1,200元(日本円で15,000円!)とメチャメチャな金額であるが、他に見学する場所がなさそうなので、清水の舞台から飛び下りた。後から考えると、ここしかまともに花火が見えた所はなかったようだ。当然、天安門は除くが。
特別観覧席からは、故宮・天安門など北京の都が一望でき、天安門広場ではいくつもの山車が出て、多数の人民により、踊りや歌が、天安門に並ぶ中国要人等に披露されていた。
高曇りで北西の寒い風が吹いていて、天安門から花火を見るには好都合である。ちょうど20時、天安門広場(幅500m、奥行き1,000mある)を中心に、本当に町の中から一斉に花火が上がり始めた。踊りや歌が続く中。
7カ所から5回一斉
○20時〜20時5分;5分間
天安門広場外の周り7カ所から、10秒ピッチで同一種類の花火8発ずつを、同時に一斉に上げ続けた。
○20時43分〜20時47分;4分間
天安門広場・人民英雄記念碑と毛首席記念堂の間から、ワイドスターマインー斉打ちで、7号以下と虎により間を置かず連続して上げ続けた。
○20時47分〜20時58分;11分間
天安門広場ワイドスターマイン・段打ち・3号以下を連続して上げる。と同時に同広場外7カ所から、20秒ピッチで一斉に10発ずつ上げ続けた。
○21時25分〜21時40分;15分間
20時47分〜20時58分と内容同一。
○22時1分〜22時6分;5分間
天安門ワイドスターマイン・2号以下段打ちで狂ったように大量の花火を上げ続け、同時に同広場外7カ所から、20秒ピッチで一斉に14発ずつ上げ続けた。
天安門広場の周りの7カ所一斉は、無線で合図してスイッチを入れているのだろう、ほぼ同時に上がっていた。玉の大きさは7号で、一部5号が入っていた。演出上だろう、両側の3カ所所と中央の4カ所で、違う種類の花火を上げることが何回かあった。1カ所の打ち上げ場は、数十メートル離れた2ヵ所の筒場から成っており、花火がワイドに見えるよう工夫されていた。花火の種類は紅満星・緑満星・錦冠菊が多かったが、他に芯入り菊・芯入り千輪菊・花雷千輪・紅葉落・Z菊・クロゼット千輸・蝶などであった。全体的に色は彩やかで良いが、色の変化はほとんどなく、星はダラーという感じで、消えも一斉でなく閉まりのない花火が多かった。残念だったのは、昇り曲導付きが少なかったことである。ワイドなので、昇りを付ければさらに豪華になったのに。一番最後は錦冠菊で終了したが、中国も日本も同じだと感じた。
筆者が見学した場所から、250メートルぐらいの所に打ち上げ場があり、花火の発射昔と開花昔とも、一斉のため迫力があった。そして、一番遠い打ち上げ場まで2.5キロメートルぐらい離れていたため、7カ所の開花昔がしばらくの間、連続的に雷鳴のように轟き、その昔に筆者は酔っていた。
天安門広場の花火、最初の4分間ではリングに星型・錦冠菊・変化菊・クロゼット千輪・千輪菊・各色虎が出ていた。その後のスターマインでは、3号以下のため種類は多くないが、各色出ていた。錦冠菊・各色満星・妖精・虎・乱玉・斜め打ちなど揃えて多数の花火を上げていた。花火の質は同広場外で上げていた花火に比べて、丸く開き消えも一斉で良かった。これだけワイドで多数の花火を連続して、途切れることなく打ち上げ続ける技術に感心した。
賓客のための打ち上げ。別に5カ所
さて、天安門広場の当花火を見学できたのは、天安門に集まった中国指導部、中国各地からの代表、外国からの賓客、報道関係者、そして広場で繰り広げられた歌や踊りに参加した多数の人民だけだろう。北京の一般人民は、一部の花火は見学できただろうが、ほとんどの人民は、当花火に関係なかったのである。一般の人民の観覧場所が確保できないのも事実であるが、選ばれた人達のみへの花火であった。日本では花火というのは、特権階級のものでなく、一部有料などの大会はあるが、老若男女誰でも見学できるだけに、日本に生まれて良かったとつくづく感じた。
当日は、中国全土で花火大会が開催された。北京市内でも、筆者が見学したホテルの屋上から、天安門広場以外に5カ所もの花火大会が望見できた。各所とも段打ちスターマインを断続的に打ち上げていた。空気が澄んでいたため、色が良く見えた。1カ所で毒々しいほど明るい深緑色のスターマインが上がったのが印象に残っている。
1997年に筆者が見学した、香港での中国返還祝賀花火大会に比べて、今回の花火は、色の変化は少ないし、型も丸くなく、消えも良くない。技術的に劣ると感じた。
さて、明けて10月2日、本来なら一般に開放された天安門広場へ行き、前夜の打ち上げ場の検証をしたいのだが、北京空港発の9時25分の飛行機で、成田へ帰らねばならない。土浦全国花火競技大会で史上初の小幡・篠原による、10号四重芯菊対決が待っていた。
追記
日本経済新聞11月9日付朝刊・春秋にて「天安門広場で打ち上げられた数万発の花火は、量と美しさとで、日本のどの花火大会より豪華と言い切っていいものであった」と出ていたが、同広場で上げた、小型花火の発数が多かったため、発数的にこれに敵う大会は日本に現在ないのは事実である。しかし、豪華さという面では、花火の品質・種類からいって、日本の方が数段上で、それらを組み合わせた日本の有力花火大会の方が、豪華であると筆者は考える。
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寄稿-CONTRIBUTION
コンピューター花火10年
わが社が、コンピューター点火を導入し始めてほぼ10年になり、今やコンピューター花火という言葉は至る所の花火大会で見られるようになってきました。コンピューター花火が普及するのは、煙火の安全消費のため大変結構なことと思います。最初の導入の目的は、煙火の安全な消費のためのコンピューター遠隔操作でしたが、それだけでなく、番組の進行から在庫管理にまでコンピューターの導入が進んでしまいました。
ここで簡単にわが社のシステムを説明しますと、お客様よりいただいた注文によって製作された、番組をコンピューターに打上げ時間(タイミング)・玉のサイズ・玉名・玉数・アクセサリー等々を打込みます。そしてその打込んだデータによって、打上げ順・玉込め表・筒番号順表・筒配置図・梱包用ラベルをプリントアウトして、それぞれの担当に渡します。そして担当者は、コンピューターが打出したデータに基き、筒を準備したり・コンピューターの器材を揃えたり、必要な煙火を加工して箱詰めをしたり等々、準備をして現場に行きます。
現場では、筒を据え、発射薬と煙火玉を込め、電気配線等々準備をします。後は本番になってスタートボタンを押せば、打込んでおいたタイミングでコンピューターが煙火を打上げてくれるわけです。当然ですが音楽とのシンクロも取りやすく、演出の幅も広がりました。
さて、前号の万華鏡で、九州の生島さんが、安売り競争のため設備投資がなかなかできないと書いておられましたが、確かにわが社の原価計算をしてみると、設備の償却費がかなりのパーセンテージを占めています。経営者の立場からすると辛いところですが、やはり当初の導入目的である安全な消費を考えると、ここは踏ん張りどころではないかと思います。しかし、コストの問題を取り上げるなら、導入によって負債能力を増やすことができるメリットとのバランスも考えてみる必要があると思います。今、煙火打上げ業者として、お客様に煙火を一発いくらで売るのか、楽しい花火大会をいくらで請け負うのか、自ずと答えは出ていると思います。しかし世間は不景気風がまだまだ吹き荒れています。主催者のご苦労がよく分かるだけ板ばさみとなって辛いところです。早く景気がよくなって、ますます花火大会が盛んになることを願うのみです。
(京都市一M國友銃砲火薬店社長)
えびす講に綴る花火史のページ
花火写真家・小野里公成
……それは、かつて菊花形割物に八重芯が完成したときのような、世紀の一瞬だったのだろうか。
今回のえびす講煙火で打ち上げられた、ある一発の割物は、ひとまず玉名通りに開花をみたのだから、世紀末の花火史上に新規の1ページを書き記したのだといっていいだろう。
えびす講ではもともとプログラムに玉の種類が記載されていないが、今回の一連の打ち上げはとりわけごく一部の関係者のみが知るばかりだった。それは製作者の要望で、本人にしても現段階では実験的な製作、打ち上げだったのだと推察される。幸運なことに筆者もまた固唾をのんで「その瞬間」を待ちかまえていた一人だった。
芯入り、八重芯、三重芯、四重芯、そして五重芯の菊。まるでそれは菊花形割物の技巧の発展史を瞬時に辿るかのような10号割物5発の連続の打ち上げだった。
曲付五重芯変化菊。(製作された青木氏は「いつえしん」と呼ぶ)
八重芯、椰子、未来花、これら史上に遺る名作を生み出してきた青木煙火店は、その技術の高さの限界に自ら挑戦するように、培った技量を証明するかのようにまた新たなる花火の深淵を見せてくれたのである。もちろんそれは部外の傍観者の身勝手な「はしゃぎ」にすぎず、製作者はあくまで内輪の、遊びにすぎないと控えめでる。しかし込める星の一部はスペシャルであることを考えれば、なんと次元の高い遊びであろうか。
思えば、筆者がこの世で初めて四重芯のその5層の開花を実際に観たのは、1996年のここえびす講煙火大会だった。その時は事前情報もなく、開いた玉を観て驚くばかりだった。その直後に周りの愛好家などに確認したが、皆首をかしげるばかりだった。写真にもうまく撮れず、それは幻だったのだろうかと永いこと合点がいかなかったが、煙火業者の人づてに実際に打ち上げたことが判った。また製作者である青木氏本人からも確認がとれ、やはりそうだったのかと納得した経緯がある。すでに八重芯のその上を、玉殻の中、構造上だけでなく、夜空で実現させようと、複数の花火作家がまだ懸命に工夫を凝らしていた頃である。
八重芯の倍密度の6重の同心球となる精緻な玉。芯物でここまでできるのか、と自身の目で見ても驚きの念を隠せない。もちろん出来映えについての製作作家の本当の胸の内は計れない。物づくりに真の完成という終わりがないように、開花を確認した後も、青木氏は、まだまだ納得がいかないと語る。
四重芯、五重芯ともなれば、それは他の芯物と比べればよほどの「超瞬間芸」であって、相当見慣れていても全てを検証することは不可能に近い。だから見るにしても、次に打ちあがる、と身構えて、精神を集中させなければとても目で追うことはできないし、一般の観覧客には知らされてから見ても、まず三重芯ですらそれとわかる人は少ないだろう。ましてやその裏に潜む技巧や価値などは。
これらの花火は技巧の追求の過程として必要であることは間違いなく、挑戦と完成には花火の進歩の上で大変な意義がある。同時に、それらの「観る側にも知識と経験、絶対の集中度を求める」玉は花火の誰にでも楽しめるという普遍性からは、離れざるを得ない特別な存在であるとはいえるだろう。筆者の心中にもそれでよいのか?と優柔不断な思いがある。
しかし、それは仕方のない部分であるし、恐れてはいけないことなのだろう。
だからそれほど高度な花火になると、もう「わかる人にだけわかれば良い」とし、もはや全観覧客の理解度をかばう気の弱さや慈悲深さは必要ないのかもしれない。
筆者にしてもそれぞれの芯がちゃんと出ているか、だけを観るので精いっぱいだ。親星が出るのは当然とみて、芯部にだけ注目してもほとんど目で追って数えている間はない。瞬時に瞼の裏に焼き付いた残像の中で確認するばかりである。
この日10号新作コンテストに出品している別の長野の煙火店は「ウチで造っている四重芯も目が利く職人3人で観ます」と以前語っていた。つまり全体のフォルムやまとまりを観る人、星の具合、発色や配色を観る人、芯の出具合、揃い具合を観る人と3人くらいは必要ということだろう。
ひとりで見なければならないとしたら、見慣れていてもこのいずれかを確認できれば良い方だと思う。
7号にまで三重芯が飛び出す、この晩の割物はたいへんな大サービスであったといえよう。7号の三重芯は全体のバランスも良く、万人がそれと分かる傑作だと思った(まだまだ、と納得のいかない青木氏を除いて?)。
残念だったのは、煙の影響より基本的にモヤッた状態の大気。この時期のえびす講とは思えないほど、それは花火全体のトーンを落としてしまっており、いずれ煙火店も本来の美しい色彩を味わうことはできなかった。
スターマインでは、7号10号が入る豪華なもので、相変わらず同じ構成のセットは繰り返さない、といった理念と良心が感じられる。ただプログラムによっては、個々の玉の出来は素晴らしく、かつ個性的なのに、集合体として構成し連続して消費するとまとまりがいまひとつ、と感じられた。
今回は例年より増してより割物のグレードに予算面でのウェイトがかかっていたようにも思うが、それはけっしてスターマインの質が悪かったという意味ではない。予算面でそれほど爆発的に増加したとは思えないのでこれは、地元煙火店のサービスというより心意気、ひいてはこの時期の地元の大会においては、演出や花火内容において自身の思い描く理想の花火大会にしたい、という夏の花火大会では果たせない煙火店としての本来の願いと、希望が込められているのかもしれない。願わくば、花火どころの地元主催者やスポンサーがこの心意気と花火の品質を真摯に受け止め、よりいっそうの理解を抱いてほしいと願わざるを得ない。
四重芯、五重芯の尺は素晴らしかった。それは技術の粋であり、他と同じ10号の玉殻の中に無限の宇宙が精緻に込められていることを、果て無き花火づくりを感じさせてくれた。しかしそれはこの日の打ち上げのごくごく1シーンに過ぎない。
通して感じられたのは、こうした芯物を含む花火の種類の豊富なこと、芯の入らない単純な菊から複雑な多重芯に至るあらゆる玉にみることができる安定した均質な出来映え、正確無比な開花、まこと整ったフォルム、などである。いずれもが隅々まで行き届いた丁寧な仕事の成せる結果であり、それらを一定に生み出せる技量の安定感には毎度のことながら感嘆せざるを得ない。今回は五重芯という、いわば極地の玉が登場したが、究極の玉に至る道も単純な菊を生み出す術も、同様に確かな仕事によって成される、という思いがより明確になった気がする。究極の技術はより身近な単純なものに活かされる。車でいえばモータースポーツの最高峰、F1の技術を一般市販車にフィードバックさせる、というようなプロセスだろうか。
いずれにせよそのほとんどが手抜きのない花火、その中でさらに特別な玉を観る歴史的な機会に立ち会えたことは、愛好家としては冥利に尽き、主催者、花火作家、煙火関係者に深く感謝するばかりである。
大衆へ向けた誰にでも良さを楽しめるレベルでの花火と、作家自身の持てる技術と理想を追求した、高度な理解を要求する花火。
花火づくりと花火大会はその両方を混在させながら、止まることなく突き進んでいくのだな、と初冬の長野に思った。
サークル同人
COLUMN
若い花火師の夢
和歌山 藪田さゆり
取材に来た人達が必ずと言っていいほど聞くこと。
「女性でどうしてこの道を選んだのですか?」と……。私が「家業が花火屋だったから」と答えると、ほとんどの人が期待はずれという顔をした。でも本当のことだ。
仕事を始めた頃は、毎日の作業をこなすのにも必死で実際何も考えていなかったように思う。あれから十数年……今はこの仕事に出会えて良かったと思える。
そして、やっと夢らしきものも、少し機考える時もできた。半人前だけれど、花火師であるからこそできるワガママで単純な夢。それは、自分でイメージを作り、試行錯誤しながら造り、打ち上げ、観客の人達から拍手をいただく。これは、いちばんのぜいたくだ。自分の理想の実現で、他の人に楽しんで貰えるのだから。
これは、いつになったら出来るかわからないが、まだ、少し歩き始めたばかり。とりあえずは、自分も楽しんで仕事をしていなければ、わざわざ花火を観に来てくださった人達に失礼だと思うので、ガンバッテ行こうと思っております。 (有)紀州煙火
万華鏡
茨城県東海村で起こった臨界事故は、私たちにいろいろ考えさせるものがある。永年、危険物である火薬の取締行政を受けて来た我々には、考えも及ばないことばかりである。危険な作業行程を煙火の場合は危害予防規程というものを作り認可を受けている。それと並行して保安教育計画を作り、これも認可を受ける。いずれも変更する時は、変更申請を出さねばならない。
第2に保安検査を主務官庁が実施しなければならないし、定期に自主検査を、計画に基いて実施することになっている。科学技術庁の所轄である原子力の関係耳嚇についても、同様の“きまり”がある筈である。歴史の浅い未知のためだろうか、作業行程は“簡単”に変更され、検査は今までに全くされていなかったという。ましてや事故発生に伴う通報・処置などは全く馴れておらず、県も国もオタオタしてしまった。
確かに“初めての事故”“初体験”である。危険の感受度が最初は全く鈍く、処置が運れた結果を招いた。
その点、火薬の場合は永い永い歴史があり、大小幾多の事例がある上に、局地的で事故が第三者に被害を及ぼす確率も低いので心配はないと考えていいものだろうか。危害予防規程の制定に際しては多少のユトリを考えていて、多少の作業方法などの変更も、変更許可を取らずとも済むようになっている?また作業合理化・能率化を考案した時はただちに変更せず、変更手続きを取り認可を受けた後に変更している--だろうか、などと私共の現状を考えてしまう。単一作業でない煙火、特に打湯煙火の場合は“工夫”が望まれることが多い。どこまで手直しが許され、どこから変更手続を要するか検討を要しないか、保安教育についても同じようなことがいえる。火薬行政が自主保安を尊重し、取締監督を順次緩和する方向が求められて行くのならばよいが、それが許されないとするならば問題が残る。
武藤輝彦
編集後記・FROM EDITORS
★2000年 おめでとうございます。一段と活気に満ちた年にいたしましょう。地方分権という大改革に、積極的に関与して、新たな基礎を築くこと。お互いに馴れないことゆえに、新たな展開が生まれることでしょう。
★“五重芯”に試作、がん具花火の拡大、過当競争の是正、コンピュータ操作の進路など、いくつかの問題を提議する号になりました。原稿オーバーでいくつかの定番が次号に回りました。硝石貯蔵のルーツ探しも課題です。来年の正月を花火で満開にすることも考えましょう。
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