「花火野郎の観覧日記」がパーソナルな撮影メモの延長線の形でホームページ上でスタートしたのは1996年で、「日本の花火」を公開したとほぼ同時にコンテンツのひとつとなっている。だからそれ以前の日記も観覧記も存在しないわけだ。もちろん撮影と花火行の記録としてのメモは残っているけれど、それも記録し始めたのは1991年から。これは、この花火を求めての旅はこの先永い道のりになるに違いないと覚悟というか確信していたからだった。だから後々の撮影のために覚え書きを残して置きたかった。10周年をひと区切りとして振り返ってみれば、花火大会をより多く経験することはもちろんのこと、それを観覧記にしたためることで花火ウォッチャーとしての私もまた成長してきたのだと思える。自分だけで感動、納得してきたこと、その花火大会とそこで目にした花火の素晴らしい部分を身振りでなく、文章でわかりやすく人に伝えることの難しさ。良い点や問題点をどう見出し解析して、良い点をどう伝えるのか?そんなことを試行錯誤し模索しながら観覧記を掲載してきた。 今回は特別に細い記憶の糸と日記(いわゆる普通の日記)の記述から辿りながら私が各地の花火大会に出かけ始めた1990年度の観覧記の一部を書いてみようと思う。しかしながらこの当時は私はまだまだ花火に関しては初心者もいいところで、もっぱら行動記録にとどまると思う。情報誌も充分でなく、インターネットが一般に広く普及する遙かに以前のこと。行く先々の各地の花火大会は殆ど全てが未踏の地であり、情報も少なく手探りで途方に暮れていた花火野郎の創世記が垣間見えると思う。 1990年は、最大の念願の大曲をはじめとして、関東圏とそれまで唯一の関東以外の大会の長岡まつりを越えていよいよ全国の花火大会を観覧しに出かけ始めた年である。年間の観覧結果は右記のようなものだが、日記に全て記載しているわけでもなく抜け落ちがあるかもしれない。 だから私にとって過去最大のエポックの年なのである。花火野郎の本当の花火行脚はこの年にスタートしたのだといってもいい。この頃は花火情報も充実していなかったし、多くの有名な良い花火大会は知らないままだった。「善光寺えびす講煙火大会(長野えびす講---の前身)」も1992年になるまで知らなかったが、いちおう行脚スタート年度にして手筒花火の初の洗礼まで受けているのである。 東京ディズニーランドのアトラクション花火は花火写真を撮る、ということ以上にトレーニングや機材のテストなどにも利用していたのでこの年以前にも数多く観覧している(もちろん年パス使用)。この頃のディズニーランドの花火は最も充実していた(2006年の今からは想像もつかないほど)。この年以下の日記に書き記したところ以外で忘れられないのは諏訪神社奉納花火大会、大曲全国花火競技大会、東京港開港50周年記念新春夢花火である。 |
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鳥居の背後を通過する水中花火を端から端まで撮ったもの。結構花火は種類を使っている。 | よく眼にする宮島の水中花火の写真は、タイトル脇のような椰子星のものが代表的だったので、らしくないこの写真は色彩的にも大変気に入っている。写真集「花火讃歌」収録。 | 大鳥居のライトアップ中の写真。これは打上終了後に撮ったと思う。こんなことをして遊んでいるうちに乗船口は修羅場と化していた。 |
ブルーの星が雨のように降るワイドスターマイン。 |
極めて直線的にスピードのある飛遊星を使用したワイドスターマイン。初めて観る星の動きだった。別カットを写真集「花火讃歌」収録。 | ワイドスターマイン。 | 初体験のKiss of Fireに興奮した。それは投下型の水中花火(宮島方式)とは全く違うものだった。写真集「花火讃歌」収録。 |