花火野郎の観覧日記2011

観覧日記その15 12/3
秩父夜祭り花火大会
  
埼玉県・秩父市

 明け方から午前中の天気が悪かったのはまるで昨2010年12月3日の再現だ。自宅を出る頃はかなりの降り。駅に着くまでにずぶ濡れになりそうだ。おまけに結構寒いじゃないか。そもそも天気予報がずっと悪くて行くかどうか迷っていた。それがどうやら午後から回復しそうになって観覧を決めた。
 正午発の特急秩父号の指定を取ってあったのだが、住処の最寄り駅を出る段になって、近隣の駅での踏切事故によりJRは大幅な遅れを出していた。おまけに機材があるから乗り換え無しで池袋に行こうとしていたのに、新宿ラインはその正午まで運休とツイていない。なんとか10分前くらいに池袋着。1ヶ月前の入間航空祭に行く時に取っておいた帰りの指定券をもっと早い便に変更したかった。その時は発売日にもかかわらず、夜祭り当日の頃合いの時間帯の秩父発特急は軒並み完売になっていて、仕方なく妥協の発車時刻の指定券になった。それだと池袋から先が綱渡りになってしまう。すると運良く30分早い特急指定のキャンセルが出たので変更。車内で食べる昼飯を買い込んでなんとか発車に間に合った。
 寝こけて目が覚めるともう飯能を過ぎていた。いよいよ山間に入るがすでに青空が見える天気に回復していて良かった。各地で今年は紅葉の染まり具合がいまいちと言われているが車窓から眺める秩父の紅葉はとても綺麗に色づいていた。
 西武秩父駅を出ると祭りの賑わいは例年通り。そしてこれまだ昨年の再現のように暖かい。ダウンはたたんでカートに括ったまま、シャツ一枚で通せる暖かさだ。まったく秩父より自宅周りの方が寒いじゃないか。まぁこういうのは良くない兆しだ。昨年は強風に煽られたし、今夜もどうなるか。前日からたっぷりと山に町中に降ったその湿気も気になる。秩父は乾いてきりきりと冷え込んでこそ本来なのだ。風向き予報は冬らしくなく南西でこれも昨年同様。しかしたびたび花火の進行をストップさせた突風にはならないだろう。
 観覧場所は決めてあったが周辺を少しロケハンしてから向かう。機材込みではそれほど広範囲にロケハンもできないが、グーグルで目星をつけてあっても実際の視界は民家に遮られたり電線があったりと、なかなか候補地以外の場所が見つからなかった。
 予定地からは建物の陰でスターマイン方向の視界が悪いものの、日本煙火芸術打上の尺玉対打ちに関しては正面から向き合える「はず」。というのもここは撮ったこと観たことがない初めての観覧場所。だからどれくらいの高さに上がり盆の拡がりはどんなものか、予測と実地検証がぶっつけ本番で行われる晩になった。
 愛好家諸氏はいつもの別のポイントに集結、と思いきや駐車場に指定されているここにも多く集まってきて、というより車をここに入れている方が多く、暖を取ったり寝て時間を過ごすとなれば、駐車場に居るしかないわけだ。そして皆さんと長らく歓談して過ごす。午前中に到着していた愛好家氏によれば、9時10時の頃は相当の土砂降りだったようで、駐車場の足下もかなり悪い状態だった。
 それから4時間近く、観覧・撮影場所の中をウロウロするだけで後は歓談したり何度となく構図を確認したりするだけで時間が過ぎた。何か食べに行こうかと思ったが、観覧ポイント近くのめぼしい場所はロケハン中でも祭り観光客が列をなしていてその気にならなかった。そういえば団子坂を引き上げる屋台を観たのはもう30年も前になるか。その頃は震えるほど寒かった。使い捨てカイロに初めてお世話になったのがこの秩父夜祭り。1990年代に入ってからはもっぱら背景の花火観覧ばかりだ。まったく秩父夜祭りに来ているのに肝心の屋台も見ず、土産も買わず、花火だけ観て帰るけしからん客だなぁワタクシは。
 初めての観覧場所。間合いも、打上場所に相対している角度も従来と違うので、何ミリのレンズを使うか、いや適正なのか?の予測からスタートする。一番の目安になるのは、日本芸術花火大会が始まる前の18時30分と19時の2回打ち上がる10号で、対打ちの一方の場所から上がる。それで到達高度や見かけの盆の大きさを実際に見て判断できるわけだ。以前ここで撮影したという愛好家仲間にスマートフォンに内蔵されたその時の写真を見せてもらったのも参考になった。
 三脚は1本のみでフイルムカメラ1台に集中といった体制だ。出てくる時の天気は雨だったし、当然ながら防寒具でかさばるので電車を使うには最低限の機材にせざるをえなかった。撮影場所はとりあえずという感じで駐車場の一角に三脚を立てた。同じように並べるのは愛好家達だけで一般観光客は居ないし在るのは車だけだから気が楽だ。
 18時30分の10号開花を観て、それに合わせて立ち位置を大幅に変更した。画角は28ミリの横位置でいけるだろう。拡がりのある冠系と最後の錦冠連打になる「黄金の滝」ではさらに一段広角側に変更と段取りを決める。(写真右上:日本芸術花火大会 昇曲付万華鏡/愛知 磯谷尚孝)
    

菊型変化物の部
昇小花雌雄芯引先変化光露
山梨 斎木慶彦

菊型変化物の部
昇小花八重芯変化菊先点滅
長野 古澤義勝

菊型変化物の部
昇曲付三重芯菊先紫光露
群馬 小幡知明

菊型変化物の部
昇曲付三重芯菊先オレンジ銀乱
山梨 山内 宏

牡丹物の部
マーガレットの花
長野 篠原茂男

牡丹物の部
昇小花雌雄芯金波牡丹変化降雪
静岡 田畑喜一郎

牡丹物の部
昇小花八重芯紅煌星
埼玉 根岸和弘

牡丹物の部
昇小花八重芯錦牡丹紫光露
静岡 田畑朝裕

牡丹物の部
昇曲導三重芯時間差発光球
秋田 小松忠二

千輪物の部
昇小花夜空のコサージュ
東京 細谷一夫

千輪物の部
昇曲導付銀彩の花
福島 菅野忠夫

冠物の部
昇曲付三重芯変化菊
長野 田村清治

冠物の部
昇尾引水色芯銀冠
静岡 池谷博文

競技大会優勝作品の部
昇曲導付三重芯錦先橙銀乱
茨城 山崎芳男

競技大会優勝作品の部
昇曲導付四重芯変化菊
秋田 今野正義

全国花火競技大会優勝者作品の部
昇曲導四重芯変化菊
茨城 野村陽一
    
 到着時には青空で陽射しもあったのでそのまま順調に天気が回復して晴天の夜空になると思いきや意外に良くならなかった。夕刻になるとすっかり曇り空になった。綺麗に頂上まで見えていた武甲山に雲がかかったり、湧いたガスに隠れたりして10号域の視界は大丈夫だろうかと気が気じゃない。最初は雲を通して月も見えていたがやがて雲が厚くなって隠れてしまった。
 昨年までの御旅所に比較的近い場所と違い、進行アナウンスはさすがに微かに何か喋っているなと聞こえる程度。だから進行は時計だけが頼りだ。で、のんびり構えていたわけじゃないが対打ちは予定時間よりわずかに早く始まった。ズシーン!と発射音が響き渡り、あわてて方向と構図を確認、微調整してレリーズする。おおお思ったより近い。高い。横位置で玉だけ撮るに精一杯のようだ。しかも玉によって開花高度が微妙に違い、固定枠に入れるだけの単純作業じゃなさそう。それでもほぼ対打ちの正面に相対している格好で、眼前に迫る一対の盆は高さ、拡がりとも並はずれた迫力だった。
 冷え込みはそれほどではないが、アウターのダウンの外側は僅かにしっとりしている。プログラム紙もヘロヘロでけっこう湿気ていると感じた。一組の対打ちが終わると次まで間が空く。この間に打ち上げ場所の辺りを見るとガスが湧いてまるで滝の様に山頂から流れてこちら側に落ちてくるのが異様だった。日中なら紅葉と相まって風景写真のいい被写体になるだろうが、闇夜に見る白い塊は気持ちのいいものじゃない。それからガスがかかったり晴れたりを繰り返しながら打ち上げが続く。しかし予報の南西の風にはならず、開発の煙が手前に来るような風向きで、多くの名花がクリアには見えなかったのが残念。
「うわうわうわ。これはお久しぶり」。
 この芸術花火シリーズの中で、今回観て嬉しく思ったのは、冠の部での菅野煙火・菅野忠夫氏の作品。この菅野氏の銀冠の引先が紅光輝に変色する親星は久しぶりに観た気がする。今年、震災そのものはもちろんのこと、震災後の復興祈願からみの花火打ち上げでは、花火玉の打ち上げ中止などで残念な年になった同煙火店だが、そうしたことも考えて感慨深い。
 今でこそ星先の変化など、何色でもあり、遊泳星あり、クロセットありと多種多様だ。その中で不思議なことに錦冠の星先の変化は、光露に始まり、色星、色蜂、キラキラ、点滅など多種多様だが、銀冠の星先は現在でも意外とオーソドックスだと思う。そのまま消えるが一番多くて、あとは光露や降雪と同色。変色や変化は多くないような気がする。だから1990年代後半の時期には、私がまだそれほど多くを観ていなかったせいもあるが、銀冠の白色から紅光輝に変色して消える親星は新鮮でかつ洒落ていた。
 その後は同煙火店も芸術協会出品、競技会系では芯物、多重芯の菊物が主流になってえびす講を含む今年のいくつかの大会では千輪系が多かった。今回も本来は「千輪の部」での出品だからその千輪物のはずがなんらかの手違いで芯入りの銀冠になったのかと思われる。そのおかげで再会することができた。福島県内の大会を数多く観たわけでもない私は、この銀冠は久しくお目にかからなくなっていたように思う。今回の親星は以前とまったく同じではないようだが、銀から紅へ変色を観てちょっと懐かしい気がしたのだ。
 順調に打ち上げ、撮影と進んでいたがフイルム残弾をまったく気にしていなかった盆プレーで、最後の対打ちの前に弾切れになって焦った。当然交換が間に合うはずもなく、最後の青木煙火の四重芯対打ちは見ているだけになった。しかし他の玉よりひときわ高く昇ったそれは、霞んで全容がほとんど見えなかった。それまでの玉の煙の上に咲いたためかと思われたが、どうやらコンディションが悪化に転じたところだったようだ。
 山間から、山肌からガスが湧き、流れては消えるを繰り返していたが芸協プログラムが終わったあたりから観覧状況が一気に悪化してしまった。煙の滞留かと思われたが、振り返って町中を見るとおそらくあらゆる方向から流れ込んだ霧がうっすらと町全体に満ちていた。芸協の後、対打ちの位置からの大型のスターマインは10号入りの物量も多いものだったが、そのほとんどが霞んで見えないコンディションになった。思えば対打ちが少々霞みながらもほぼ全出品作が見られたのは運が良かったと言えるのかもしれない。強風に飛ばされた昨年。来年こそと1年を待った結果が霧と煙にむせぶ晩。なかなか思うようにはいかないものだ。
 「黄金の滝」はもう厚い霧と煙の向こうで、最上部の僅かと引き先の末端くらいしか見えない状態だった。打ち初めの方でもうこれ以上観覧も撮影も無理と判断し店じまいする。「黄金の滝」の終了を待って続きをまだ楽しむ車組の愛好家に挨拶して帰路に着く。
 ♪夜更けの街に うるむ夜霧よ……などと旧いメロディが浮かぶが、それほど濃くはないもののありがたくない夜霧だった。しかし芸協プログラムの協賛スポンサーには感謝したい。各地で煙火芸術協会の出品は数多いが、これだけの種類の花火作家の作品が対打ちで見られる場所は無い。だから稀少な出し物なのだ。これが見られるうちはぜひ見ておきたいと思うのだ。 
 観覧場所から駅までは10分もかからない。ドコドコドコドコと腹に響くように秩父屋台囃子が流れて駅頭はまだまだ祭りの賑わいの真っ最中だった。花火は終わっても車や泊まりの客なら23時を過ぎれば御旅所に並ぶ各町の屋台を見物できるし、秩父夜祭りの夜はまだ続くのだ。発車までの僅かの間は駅から見えるスターマインを眺めて過ごした。それはあまり霧に霞んでいないようだった。
 全席売り切れだと案内していた特急秩父号だが、私の乗った車両だけでも1/4くらい空席だった。指定を買っているはずの客は乗らずにどこにいったのだろう?
 翌日の日曜は風は強いものの暖かく、朝から終日快晴だったのが言っても仕方ないが悔やまれる。思えば芸術協会対打ちの始まった2005年度はなんという好条件だったのだろうか。
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