花火野郎の観覧日記2011
観覧日記その3 7/16
震災復興支援 田園夢花火2011 第23回たまむら花火大会
群馬県・佐波郡玉村町
1・開幕スターマイン
1・開幕スターマイン
5・復興支援花火
菅野煙火店
15・一斉打ち
20・スターマイン
20・スターマイン
24・8号6発
24・8号6発
25・10号3発
25・四重芯変化菊
32・四重芯変化菊
33・スターマイン
34・スターマイン
Dream of 38,000
スターマイン
Dream of 38,000
28ミリ相当
スターマイン
Dream of 38,000
24ミリ相当
梅雨明けから猛暑が続いている。空は雲一つない快晴。この日も35度くらいは楽に超えそうだった。
昨晩も暑さに何度か目覚めながらも、行こうか行くまいか悶々と考え続けていた。玉村は何度も観ているし、車が無い今期は帰りは最寄り駅まで1時間近くの歩きか。つまり玉村の会場は余所から電車だけで行くにはそれなりに不便な場所なのだ。
意を決して初めて電車で向かう。4〜5月に花火を観ていないわけではないが、久しぶりの花火大会観覧でシーズン初日。やはり花火らしい花火を観たかった。最寄りのJR高崎線新町駅を出ると、知り合いではないが、同じ列車に乗り合わせたであろうカメラバッグや三脚を携えた花火もしくは写真の愛好家が目に付いた。バス路線があるようだが経路やらがよくわからないのでタクシーを奢る。タクシーは最短経路で花火会場近くの「両水」まで運んでくれたが、さらにリクエストして三脚を立てる予定の裏手まで乗り付けて貰う。むは、やはり目も眩むような陽射しだ。いつもの水田脇の農道にはズラリと三脚の壁が形成され累々と遙か先まで続いていた。以前は途方もなく前からの場所取りが可能だったけど、近年はスタッフによるお掃除が徹底して当日以前の場所取りは出来なくなっている。それならばと前日入りして午前0時を待って場所取りするマイカーによる機動部隊が活躍し既に場所取り戦線はその時間に決しているようで、そこには持ち主はひとりも居なかった。その端っこの空いている場所に我が三脚を置いてひとまず観覧場所確保と(三脚の壁。右端先までずっと続く。左端が私のもの)。
避暑地である「両水」に避難。ここにも既着で場所確保を済ませた愛好家諸氏が陣取っており、久しぶりのご挨拶。以降ぞくぞくと愛好家諸氏が参集し、ショッピングセンターの一角はさながら花火愛好家の交流センターのようだ。いつものように花火大会の情報交換が盛んだったが、やはり今期は誰と話をしても震災や原発事故の行方、花火大会の中止からみの話題に多くの時間を割いたように思う。
プログラムを取りに隣の玉村消防署まで往復するのさえ途中で倒れそうな暑さ。この暑さと炎天の陽射しの中で準備中の花火業者さん達には頭が下がる思いだ。その後三脚位置の微調整などで、一度撮影場所とを往復しただけで、日がな涼しい店内で過ごさせていただいた。もちろん何度となくその場で飲み物食べ物を調達しての居座りである。
このショッピングストアの「両水」が無かった頃は、日陰もなく、水場もトイレもなく、自販機も遠く。といった有様だった。消防署の北隣りが農協かなにかの施設で、そこの自販機で飲み物を買い、そこの立木の日陰で過ごしていた。なにより大会としては空いていたので夕方に到着すれば良く、日が傾くまでの待ち時間も大したものではなかった。
18時を過ぎて陽も傾かないと気温が下がらない。そんな時間からようやく機材を運んで準備にかかる。もう30分もすれば、三脚までの農道が通行止めになってしまう。水田を渡る風は、アスファルトの都会に比べればずいぶん涼しく、丈を伸ばした稲の緑も目に爽やかだ。
撮影位置は三脚ウォールの端っこだったが、位置的には望みどおりで申し分なかった。三脚は2本、カメラは2台だが、28ミリ相当の単焦点を中心に一方だけで主に撮る。撮り慣れた所だし段取り設定も特に変化はないがシンプルに振っている。使用するカメラやレンズも、複数並べて渡り歩くというより1台こっきりに集中したい、というか無駄な操作を省いて楽をしたい、といったところだろうか。最後の一斉打に備えては、もう一台をより広角な24ミリに換えてメインと両方で撮ることにしていた。
この4月からフイルムが思い切り値上げになったこともあって、なるべく節約して撮ろうと決めていた。号数の低い単発打ちなどでは観ているだけにしようと。観ているだけにしてもその号数の低い一発ずつが相変わらず綺麗なフォルムで開くことには感嘆し安心する。しかし後半になって、出来の良い5号(なに!5号で三重芯?)がなかば対打ち仕様で上がるに至っては、撮っちゃうじゃないかよう……と素敵な光景にやはりレリーズを握りしめる。
カメラ2台が両方ともフィルムなのだが、私とて花火はフィルムで撮るもののそれ以外の一切の撮影はデジタルなのが現状だ。35ミリフイルムカメラなどは最低限の機材だけ残してとうに処分してしまったし、なによりデジタルカメラの撮影装置としての多彩な能力に恋いこがれているからだ。
いつもなら息をも継がせず、翻弄しまくる終幕の前振りから、錦冠連打〜7箇所打ち銀一斉への切り替えに充分なタメ(間)が入り、「今日の打ち上げはずいぶん(撮り手に)優しい」じゃないかと思ったほどだった。ハイここでレリーズ!と花火側が明確に教えてくれているわけで、これなら多くのスチルの撮り手はタイミングにおいては失敗しようがないだろう。残念だったのは、錦冠連打の終盤でラストの銀冠が数発混ざり、銀一斉の中央で錦冠が混ざってしまったこと。つまりそれぞれが装填違いか配線ミスなのだと思うが惜しかった。錦も銀も同じ金へんだからなぁ……。段取り通り最後の一斉だけ28と24ミリで押さえるが、適当に画角を合わせた28の方でけっこうきっちり収まっていた。一見トンでいるように見えるが、銀が集中する部分にきちんとディテールがある、という見た目の眩さを失わない望み通りのギリギリの露出になっている。
花火内容の方はいつもの玉村という感じだが、途中やや進行にもたつきがあったのか、予定通りに終わらないのでは?という温い進行になった。後半ピッチをあげたものの21時を5分ほど過ぎて終了。今回の特別な出し物としては、大会キャッチに「震災復興支援」と掲げているように、東日本大震災への復興に祈りを込める共に、被災地福島県から、「菅野煙火店」を招聘し、復興プログラムの打上を任せている点。被災地では直接の難を逃れたものの、花火大会という消費の場を失った煙火業者は多い。だからこれもひとつの助け合いプログラムなのだ。
終了後は新町駅までの歩きを必至と覚悟してきたが、仲間の車で俊速に本庄駅まで送ってもらうことができて助かった。
夏期の観覧初日が出たわけだ。久しぶりに花火らしい花火を堪能できたおかげで翌日には暑さに耐性も出来たようで、すっかり身体も気持ちも夏モードにスイッチオンした感じだった。しかし次の観覧がどうなるかは未定だ。同日開催の有名どころに押されて後回しになっていた近隣の大会を回ろうかとも思う。
この日嬉しいことに、花火愛好家グループのひとつから記念のタオルを戴いた。片貝奉納煙火愛好會と染め抜かれたそれは、片貝町出身の愛好家を中心に結成以来、一回こっきりではなく長年に渡って、同奉納煙火に花火を奉納し続けた10年目の記念なのだという。感動した花火大会に参加する歓びを有志の間で分かち合ってきたそれは素晴らしい成果ではないだろうか。この継続の力と団結を讃えたい。
それぞれがバラバラに思い思いに観覧していた花火好きは、こうしていつしか同好の士同士が結びつき、大小の集団が生まれ、グループで行動する愛好家も増えたことは喜ばしい。私が独りで各地を回り始め、誰も既知の花火好きの知り合いが居なかった頃に比べれば、なんという大きな動きだろう。かくいう私も多くの知り合いや仲間を得て、過去の孤独感が嘘のような幸せ感に包まれている。
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