花火野郎の観覧日記2013

観覧日記番外特別編 10/26
第9回 釜山花火祭り(The 9th Busan Fireworks Festival)

  
韓国・釜山市

 観覧記は昨2012年度の同大会に遡る。悲惨な結末になった前年の観覧行から書いてみよう。(前置きはいいからさっさと今年度版を読みたい人は こちら から)。
 昨2012年に初めて行ったのだけれど、暴風雨による開催中止翌日順延となったため、開催日が日曜では仕事もあって観覧できず泣く泣く帰国した。肝心の花火を星の1粒も見ていないのだから観覧記の体を成さないわけで、観覧記は無し、行ったこと自体も暗黒の歴史として封印した。
  
 発端は2011年に遡る。韓国釜山(プサン)の花火が凄い、と地球を股に掛ける見巧者から聞かされて、次回つまり昨年度、2012年の観覧を漠然と決めたのだった。航空券や現地での宿泊など旅の諸手配は旅慣れたその見巧者に一任する格好になった。こちとらパスポートが要りような旅行など、新婚旅行以来とんとご無沙汰の身。便利に航空券や海外のホテルの予約がネットでできる時代とはいえ都内に出かける感覚で海外に行けるベテランにご迷惑だけれどお任せした方が確実だ。
 航空券の予約の都合から、パスポートは2012年4月初旬にはとっておいた。5年旅券だがどうせ有効期限満了までに再度使われることはないだろう。とうに期限切れの前の旅券は出入国の判子を押すページがとうとう白紙のままだったし(じゃなぜ取ったし?)。
 2012年はありがたいことに遠征観覧がいくつかあってそれに費用を掛けてきただけに、ご無沙汰の八代にしろそこから足を延ばせば届く宮崎にしろ残念ながら、その翌週に釜山という贅沢はできず、韓国行きを選ぶことになった。
 一行は3名。私以外は旅慣れた方ばかりなので安心だ。花火観覧や仕事で羽田は何度か利用したけれど成田はまったくご縁がない。昨年度観覧した愛好家によれば、花火打ち上げは土曜だけでなく金曜にも在ったとのことで、旅程はその打ち上げ観覧も含んだ4日間だった。しかし今年はどうやら金曜のそれが無くなってしまったらしく。一日余る事になったので前々日をどう過ごすかが話題になった。
 目的は花火観覧一発なので、一行は日本国内の花火大会のようにそれ以外に目的がない。プラス観光とか食べ歩きとか買い物とかそういう思考が希薄だ。韓国ってどこか観光するところがあるのだろうか?というのが当初の考え。韓流フアンの女性ならともかく、化粧品やエステにも興味も知識もないしせいぜい本場の焼き肉くらいだろうか。韓流ブームと呼ばれた過去も、そして現在も実際に韓国に行ってまで観光や買い物をしようと思わないままだ。だから花火でもなければ行かなかっただろう。ウォン安とかいうけど、富裕層でもなく先立つ円が不足しているんだから買えるものなんかないっし。
 どんな格好で過ごすか考えたが、緯度的には東京と同じくらいだから、10月末現在の出で立ちで構わないだろうと思った。やや暖かめに寄せた衣類を準備。あとは重ね着と都会なんだから現地調達で。しかし南部に位置する釜山は思った以上に暖かくて防寒寄りの衣類は結局使わなかった。
 機材はデジタル一眼のみ。やはり機材が少なくて済むのがありがたい。規模が大きいらしく「最大広角大丈夫?」と観覧経験者から心配されて、広角側を手厚くするレンズ構成。ズーム一本で済ますつもりだったがもう1本加えた。フルサイズのボディは1台しかないからそれのみ。もし故障したら終わりだなぁ。
 日本と韓国の関係が一時ほど良好ではないような国際情勢の中(2012年時点)、職場に韓国人の社員が居るという娘からは相当心配されたが、予定通り出かける。
  

広安里ビーチ

広安里ビーチ
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しゃれたウエストコースト風

広安大橋と台船3隻

広安大橋のイルミネーション

広安大橋のイルミネーション

広安大橋のイルミネーション

客船のための花火打ち上げ
   
 釜山の空の玄関口は金海(キメ)国際空港。韓流ドラマは好きだけど空港を出たとたん洪水のようなハングル表記には圧倒される。そして話される言葉も洪水のようなハングル。釜山といえば歌にも在るように港町なので海が近い。その海で行われる花火大会なのだ。
 ちなみに韓国語で花火はカタカナ読みで「プルッコッ」。焼き肉はプルッゴギというけど、頭のプルは「火」、コギが「肉」。「コッ」はFlowerの花のことなので、「プルッコッ」は火花と表記されているわけで日本語と逆になる。現地で地元の人に英語でFireworksと言ってもピンと来ない感じだった。むしろ花火好きということの温度差が比較にならないほどに在ったのかもしれない。大会名は漢字表記(ハングルの片仮名読み)だと「第8回(チェ パル フェ)釜山花火祭り(ブサン ブルッコッ ジュチェ)」(右写真の旗に書かれている)。
 花火会場は空港から地下鉄などを乗り継いで南東に1時間ほどの広安里(クァンアンリ)ビーチ。空港で手に入る各国語別に用意された祭りの案内パンフレットには海水浴場と記されている。約1.3キロメートルの沖合にはこの場所の象徴というか観光の目玉になっている韓国初の二層海上橋梁・広安大橋が横たわっている。規模は横浜ベイブリッジや東京港のレインボーブリッジより大きく、接続道路を含む総延長は7,420メートル。懸垂橋の長さは900メートル。2003年に完工したという。夜になると橋全体に仕掛けられた10万色の色彩を出せるという電飾でライトアップされ、国内の観光客にも人気のようだ。これは単に色の灯りが点るだけでなく、あらゆる方向に光線を向ける事が出来るカクテルライトを多数配置し、一斉にもそれぞれ単独でも動かすことができ、様々に色を変える事が可能な固定ライトとともに無数のカラフルな電飾パターンを生み出す。その様子はひとときも同じパターンが無く長時間眺めていても飽きることがない。
 花火はこの広安大橋と観覧場所となる浜辺(砂浜)の間の海上に打ち上げ台船7隻を係留して行われ、観客は砂浜や通行止めになる海岸沿いの道路で観覧する。台船は打ち上げ専用3隻(最大10号)、電飾+花火の台船3隻、二尺玉(25インチ玉と案内パンフレットには表記)専用台船1隻。電飾はLEDを用いた巨大なスクリーンで、日本なら枠仕掛けの花火となるところだが、野外ビジョンと同様に様々な絵や文字を映し出すことができるもの。
 そしてこれは日本ではまず許可されないことだが、この広安大橋そのものからの打ち上げ(最大10号)も特徴だ。これは4車線在る上層の浜辺側の2車線を封鎖してその路上に花火を並べている。この部分だけで全幅1000メートル以上のワイド打ちを実現しているのだ。
 広安里ビーチは少し北東隣りの海雲台(ヘウンデ)ビーチと並んで韓国全体の海のリゾート地といえるだろうか(グレードとしては海雲台のほうが高級)。夏は浜辺に無数のビーチパラソルが備え付けられて海水浴客で賑わう。ビーチ沿いの雰囲気は日本で言えば湘南海岸という感じで、浜辺に沿った道路に面してテラス席を設けた洒落たカフェレストランやバーが無数に立ち並んでいるのはリゾート地らしい洗練された佇まいだ。少し赤っぽい砂をたたえた浜辺に続く周辺は自然のままの部分が無いとは言えるが整備されていて綺麗だ。早朝には犬の散歩やジョギングをする人が絶え間ない。ビーチ沿いの道路も湘南の134号線よろしく絶え間なく車が通行している。なぜか信号付きの横断歩道は少なくて、現地の人も車の途切れるわずかの間に道路を渡っている。
  

ビーチとスピーカー設置

電飾パネル搭載台船

電飾パネル搭載台船

二尺筒

巨大な扇打ちの仕掛け

仮設トイレはトレーラー型移動式
   
 雨天決行となっているイベントだがそれを見越してか、会場の設営準備は昨年より早く天気が確実に良い前日のうちに進められた。なにより2011年度と違っていたのは、打ち上げ台船も前日のうちに定位置に曳航され係留されたことだという。2011年は開催当日にこれをやったらしい。それが幸いして我々は余裕をもってそれそれの台船の様子を観察することが出来たし、既に台船の配置が決まっているので在れば前日のうちにロケハンできるたのは僥倖か。それでビーチを端までくまなく歩いて何処から観覧するかをじっくり検討できた。
 中央二列目の台船には巨大なアーチ型の構造物が載っていて、近くまで曳航されてくると、それは巨大な扇打ちの仕掛けだった。アーチの差し渡しは8〜10メートルくらい。その円弧上に25箇所に分割した花火筒が奥に何列も搭載されていた。一箇所あたり20本近くの筒が設置されていて驚いた。こんな大がかりな扇打ちの仕掛けを見るのは初めてだった。
 しかし出発前にわかっていたことだが、開催日の天気予報は最悪だった。都合4日間の旅程の内、花火開催日の土曜だけが雨予報。好転することを願っての出発だったが結果として叶わなかった。明け方、濡れた路面を走る車の音ですでに降っているとわかってがっかりした。それでも午前8時過ぎに場所取りに向かう。しかしロケハンしておいためぼしい撮影場所は、国は違えど考えることはみな同じなのか早朝に三脚が何本も立って場所取り済みになっていた。というのも同道した仲間が私より早く様子を見に行ったら「もう立っていた」と教えてくれたのだ。私も朝飯も食べずに三脚だけ持って浜辺に行ったわけだがはたして目を付けていた場所はきっちり置かれていた。なかなかこちらの写真愛好家も目の付け所はいい。
 小雨の中を残った候補地を検討した。私が三脚を肩にウロウロしていると、同様に撮影場所を検討しているらしい人物が居た。どこに位置決めするか気になる様子。そして言葉はわからないけど、「そこに立てるのか」みたいに聞いてきた、すると車からお仲間の分もあるのか多数の三脚を降ろして立てはじめた。私もすぐに候補地に置いて、韓国の写真愛好家の間に挟まるような形で三脚の壁の一部になった。すると三脚1本ずつに「盗られないように」かロープを通し初めて、私の三脚にも通してくれた。こういう作業も共通項だ。写真愛好家に国境はないなぁと痛感した。場所取りから三脚立てまで、言葉は通じなくてもその行動は日本と同じでまったくよく理解できた。三脚に被せる大きなビニール袋も貸してくれたのでありがたかった。その後、その写真愛好家の一人がスマートフォンに内蔵された韓日翻訳アプリを使って、スマートフォン画面に日本語を表示させて話しかけてきた。「おおぉ、こういう便利なモノが」と私はそこに感動した。こっちはそんなものないから、韓国語の単語と、英語と、日本語とで少しやりとりする。
 異国で日本の花火会場のように三脚を放り出していくのはさすがに気が引けたのだが、そのまま身一つで見ているわけにもいかないし天気も悪い。それでやりとりした韓国人写真愛好家に「三脚を見てて」とお願いしていったんホテルに戻ることに。
 それからちょくちょく様子を見に行くが天候も悪く一般客もほとんど来ていなかった。増えていくのは新しい三脚ばかりと日本の花火大会と変わらないと苦笑するばかりだ。花火との間にスピーカーなどの障害物が無く広安大橋全体が見える正面エリアのめぼしい場所には相当な三脚が立ち並んでいた。いずれも軽量とまでは行かないが、背の高いタイプの三脚ではなかった。
 午前中はまだそれでも空模様は小雨程度で良かったのだ。午後2時を過ぎると、ホテルの部屋に居てわかるくらいに雨音が激しくなった。窓から眺めると激しく木々が揺れて猛烈な風にもなっていた。もう完全に暴風雨だった。
 午後4時頃、三脚の様子を見に行くと(風でなぎ倒されているかもしれない)、無事に立っていたが、昨日まで終日穏やかに凪いでいた湾内は猛り狂うように白波が立っていた。猛烈な向かい風。そして既に昨日のうちに海上の定位置に係留されていた巨大な打ち上げ台船全てが浜辺近くまで無惨に風と波に押し流されていたのだ。当然アンカーをいくつも打っているのだがそれごと引きずられて打ち寄せられた格好。台船同士がぶつかり合い身を寄せ合うように荒れた海上で喘いでいた。こんな光景は初めて見る。
 一番右側の電飾台船はもうすでに浜辺近くまで寄せられて座礁していた。そこは有料観覧席の目の前なのでもう保安距離からしてもその台船から花火を打つことはできない。
 曳舟が必死に他の台船が座礁しないように沖合に曳航し続けている状況だった。しかし波と風の力と拮抗しているのかそれ以上浜辺に近づけないだけで精一杯というところだ。
 あまりに風雨が強く、我々は近くのイベント用の仮設テントに避難してその陰から海上の様子を眺めていた。そこに17時過ぎになってとうとう開催中止の情報が来る。イベントスタッフや警察官が引き上げ始め、手をクロスして「ダメだ」と告げたらしい。どうみてもガシャガシャとひとところに吹き寄せられた台船を打ち上げ時間までに元の位置に戻せるとは思えなかったし、座礁した台船は花火の並べられた甲板を波が洗っている状態だった。
 仲間は観光案内所に可否の確認に行き、私は近くを通るスタッフや警察官に確認する。すると同じように手で×点をしてみせるのだった。
 第8回目で初の行事として27日午後3時からは海岸線の道路を通行止めにしてのストリートパレードが予定されていた。しかしこの荒天で一部のミュージシャンによるテント下での演奏が行われた他はほぼ全ての行事が中止された。そして順延の翌日にもパレードは行われなかった。
 三脚の場所に戻ると朝方に知り合った写真愛好家が居たので「今夜の花火は中止」と告げると「マジか」驚いた顔でやはり警察官などに確認していた。そして翌日に延期と逆に教えてくれた。明日かよ、そりゃもう帰国日だ。確かに明日は晴れるだろうけど仕事があるから無理。残念だが諦めるしかない。
 仲間の一人はリタイヤ組なのでそのまま延泊して残って翌日の観覧をすることに決めた。その晩のKBS他のニュースでもこの順延顛末のニュースをやっていたが、降水量はほぼ14時から20時までの6時間程度のピークで130ミリとアナウンスされ、各地で河川の増水や道路の冠水などの被害があったようだ。座礁した台船や波と風に翻弄される他の台船からの乗組員救出の様子などもニュースで流された。しかし暇つぶしに部屋で見るテレビも話し言葉もテロップも弾丸のようなハングル。日本でもよくインタビューなんかに字幕が付くけれど、それもハングル。こっちの人は一瞬でこれを読むんだろうな。数字と英字以外は徹底してハングル表記という国策だからかえって読みにくい。日本語でいえば、全てカタカナ表記で書かれているようなもの。
 風雨は本来なら花火が終了する21時頃には収まってもう青空が拡がってきていた。これが数時間早かったとしても台船を元の位置に戻すことはできなかっただろう。
 翌朝はもう快晴に戻り、海はまた穏やかに戻っていた。打ち上げ台船は座礁した一隻を除いて夜を徹して広安大橋の近くまで曳航され無事に離岸していた。これから夕刻までにまた打ち上げの配置にまで移動させるのだろう。
 韓国の趣味の写真文化はどのくらいのものだろうと、せっかく韓国の写真愛好家と三脚を並べて撮影できる機会だったのに残念でならない。
 釜山花火祭りの初回観覧はこうして無惨に何の収穫も無しに終わった。もちろん設置やロケーションについては多くの情報を得たが、肝心の花火はただの一発も観ないままになったので何の評価も讃美もできない。ただ次年のリベンジを固く誓って釜山を後にしなければならなかった。
 しかし花火を観てしまっていたらもうそれで縁が切れてしまうかも知れない。費用もかかるから容易にもう一回と思えるかどうか。今回の中止は私とこの花火との絆と興味をもう一年先に続かせてくれたわけだ。期限が切れるまで二度と使うことはないと思っていた旅券も再登場する機会を得たということだ。
 この釜山花火祭りには日本から相当人数の観覧ツアーが敢行されている。交通機関も航空機やフェリーなど多彩なツアーが用意されているようだ。戻り便のAIR BUSANの機内もそのツアー客と思しき団体が乗り合わせていたが、口々に憤懣を漏らしていたのが印象的だった。曰く「絶対満足できない」。それはそうだろう。なんでもどんな天候でも絶対に打ち上げは実施すると言われていたようで、まさかの中止で目玉の目的が無くなってしまった。しかし憤懣は花火が見られないならその時間分を買い物などのフリータイムに当てて欲しかったというところにあるようだ。オバサマ方は強い。
 
2013年度観覧記に続く
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