花火野郎の観覧日記2013

観覧日記その2 4/13
3rd いせはら芸術花火大会

  
神奈川県・伊勢原市


一般席撮影場所から本部席側

一般席撮影場所から打上方向

打上方向から協賛者席シート
   
 ようやく初観覧だ。1回目は打ち上げ時は上がったもののそれまで土砂降りの雨に断念。2回目は予定していたのにまたも荒天で翌日順延。日曜日開催になったために断念した。私の住処からだと伊勢原はけっこう時間がかかる。最短でも電車だけで2時間半近く。往きはよいが終了後の最寄り駅までのリターンの時間を考えると、翌日が仕事の日曜は避けたいところだった。
 好天に恵まれた現地は、盛りは過ぎてしまっていたけど時期が合えば桜が綺麗だろうという高台にあった。
 既に入場ゲートには正午のオープンを待つ各地からの愛好家が列を成していてさっそく私も参入する。
 快晴だが風が冷たくて夜は冷えそうだった。おまけに運動公園自体が高台になっていてつまり吹きさらし。アウターはフリースだけどダウンでも良かったなぁ。インナーにはヒートテックを着込んでいるのでなんとかなるか。もちろん新作コレクションの時に忘れた使い捨てカイロも用意してある。各地で撮影するに5月一杯は万一冷え込んだ時のために使い捨てカイロを持参するようにしている。
 やがてゲートオープンで粛々と一般観覧席後方の三脚建立エリアに向かう。
 初めての地なので間合いや画角、ロケーションが読みきれない。だから機材はレンズワークに余裕のあるニコンのデジタル一眼をチョイス。観覧済みの愛好家仲間から最大広角で、と忠告されていた。そんなに接近戦なのかどうかは実際に来てみなければわからない。ところが来てみたもののほぼ全ての花火群は、観覧位置からは目視できない場所に設置されていた。それは建物の陰だったり、野球場の底だったりで直接見えない場所にあるのだ。公式HPには親切に大まかな花火の設置位置が保安距離の円と一緒に記載されている図面が見られるが、細かな花火(トラとか小型煙火類とか)までは記載されていない。単発は問題ないが、ラストのメロディではどう花火が展開するかは出てのお楽しみになりそうだ。
 それで現地で前回撮影済みの何人もの愛好家氏に画角や筒の配置について教えて貰った。中にはスマートフォンに仕込んだ前回の写真も見せてくれる人もいてずいぶん助かった。三脚を置いた位置は公式HP上の保安距離見取り図や風向きからの判断で、そこがベストかは出てみないとわからないけど、そんなに外さないはずとみた。
 正午の入場開始と共に場所を確保したのは殆ど愛好家。地元一般客の出動はまだ先だ。それにしてもズラリと並んだ三脚も壮観だけど、それ以上に愛好家の面々は勢揃いといった感じだ。4月の新学期スタートじゃないけれど出欠を取りたくなるほどの顔ぶれに驚く。これも磯谷煙火店の吸引力だろうか。関東圏で、競技を含めてもまとまった量での同煙火店のパフォーマンスを観ることが出来る地は他にない。そもそもまとまった量で観られる大会は、豊田おいでんまつり、ふくろい遠州の花火、夏冬の名古屋港、岡崎観光夏まつり、長島温泉くらいがメジャーなところだろう。何でもお取り寄せの関東人だけど、誰もが自在に本場に遠征できるわけじゃないから、やはり関東で磯谷煙火を観られるのは稀少なことなのだ。
 打ち上げ開始は19時過ぎと長い長い午後。愛好家氏たちとあちこちで歓談し、会場をひとまわりして、飲食ブースでお弁当などを買って昼食。運動公園内にはまだたわわな八重桜が咲きそろっていて目に眩しい。
    

スターマイン・光のオブジェ

伊勢原市民花火
(風が吹いている)

伊勢原市民花火
(風が吹いている)

創造花火・5号睡蓮

スターマイン
「ミルククラウン」

特製8号玉・桔梗牡丹

特製8号玉・八重芯変化菊
    

市民追悼花火

市民追悼花火

市民追悼花火

メロディ花火
   

メロディ花火
   

メロディ花火
   

メロディ花火
   

メロディ花火
   

メロディ花火

メロディ花火

メロディ花火

メロディ花火

メロディ花火
  
 陽が落ちるとさらに冷え込んできた。車だと多目に防寒具を用意もできるがそうもいかない。場内の照明を全て落とす、とアナウンスしたのでまだ辺りが明るい18時過ぎに準備にかかる。風は終始南向きでその割に変わらず冷たかったが日中よりは風速が落ちた。概ね向かって右からの横風といった案配。
 関係者の挨拶に続いてのスタートは華々しい一斉打ちではなく、4号で50玉を使用した花火の種類を解説する花火図鑑。花火観賞士により観客に種類を紹介するのと共に、4号というのにも訳がある。
 会場の総合運動公園周辺は、酪農や養鶏の農家が多いということで、家畜を驚かせないよう、音に慣れさせるため小玉から順に打ち上げるというのだ。各地で花火の音でニワトリが玉子を生まなくなっただの、牛の乳の出が悪くなっただのという苦情が寄せられる話は何度となく耳にしてきた。だから円満に花火を開催するにはこうした地域への配慮は必要なのだろう。
 続く開幕のスターマインも大人しめに、磯谷ワールドのスタートだ。いくつかのスターマインを除けば単発で磯谷の持ち玉をじっくり見せるという趣向か。この煙火店の変遷、そして観てきた私の長い時間をも振り返るようで心に浸みる。いずれも相変わらず丁寧に作られているなぁと感嘆する。
 4号の単発から8号のそれまで、全て玉名をアナウンスしているのは良いと思ったけれど、願わくば主催者側でわかっているのだからプログラム誌にも記載していただけるとありがたい。録音録画している愛好家は何度でも聴けるかもしれないが、多くの観客はその時だけ「ふ〜ん」と思ってその場かぎり。芸術花火を謳うなら解説や案内がプログラム誌にもあると嬉しい。
 物量と予算の大部分をそこに投入という感じのラストのメロディ花火。磯谷煙火の真骨頂だ。ここで始めてカメラを横にして構える。
 「は、速〜っ!」。磯谷のメロディというと、私的には「優雅に」「ゆったりと」、というイメージがあるけど、今目の当たりにしているこれは相当速い。万華鏡パート、オパールパート、千輪パートと各セクションの前後がオーパーラップする感じで始まりと終わりに重なり合う部分を設けながら塗り重なっていくので、このオーパーラップ部分を綺麗に切り分けて撮るのは難しい。いやいやまだ夏の最盛期の撮りに慣れてない時期としては厳しい撮りだなぁ。うまく合わせているつもりが、写真をみると少〜しずつ気に入らない。
 終盤で、光の宝石→オパール→彩色千輪、銀千輪→花雷入り錦で終了という流れだったけど、絶叫ポイントはどうしても千輪だ。しかしこの超高速展開の中で頭の中では瞬時に色々考えてそれがレリーズ操作に反映していた。音だけで開花が即来ないから千輪とわかって、すぐに彩色千輪ワイドが色鮮やかに拡がった。よっしゃああ千輪ゲットだぜぇ、とここで彩色千輪だけで露光を止めようか、という瞬間、その千輪の開花列の位置が「低いな」と感じたのだ。つまり上空が寂しいなと、こういうのは単なる美意識だから仕方ない。その一瞬の「感じ」がレリーズを離すのを躊躇わせて、そしてすぐに銀千輪が乗っかっていった。予め展開を知っているわけじゃないから分けて撮った方が良いかどうかはどちらがいいといえないのだけれど、二種の千輪は画面上では一体となった。それが私の判断。見たままに流れる動画と違って写真はこうしてどこかで時間が立ち止まったり重なったり淀んだり、それが面白いところなのかもしれない。
 低いと思ったのは彩色千輪の玉の号数が小さいせいもあるけど、開花フォルムが揃って下向きなので、開花時間を遅くして小玉が全て落下運動に入ってから開発するか、割が弱く上に飛び散らないようなそう言う形にこだわった設計なのかもしれない。当然ながら本体の開発位置より、咲き揃う位置が普通の千輪より低目になっているようだけれどそういう意図なのだろう。
 本当にあっという間と感じたが久しぶりに磯谷煙火のラインナップ、そしてメロディ花火を観ることができて心より満足した。豊田の観覧事情が劣悪になって、もうこれからずっと観ることは出来ないと思っていただけに嬉しい。
 撮った結果としては縦28ミリで余裕。メロディは横位置で24でちょうど、20ミリで余裕といったところか。横でも最大8号は充分に収まっていた。もっと間合いを稼げば8号は頭ひとつ高さが出るのだろうけど、至近から見上げているこの間合いでは前面の4〜5号列の弾幕から少し頭が出るくらい。
 この大会には花火観賞士、花火愛好家から多くのボランティアスタッフが参加している。第3回目にしては、運営は充分に組織だって機能しているようだし、スムースだと感じた。この大会が第1回目の開催に至るまでのだいたいの経緯や、その初回当日のあらゆる顛末について人づてに聞き及んでいる。それだけに開催地を新たにしまるで回数を重ねた大会のように運営されているのを見るのは喜ばしい。しかし鑑賞士の資格を与えている大曲の冬の新作や夏の全国競技のスタッフをやるならともかく、何で関係のない伊勢原に駆り出され、いや進んで参加しているのかとにかくご苦労様です。
 これまでいくつもの花火大会の始まりも終わりも観てきた。歴史のある大会もそれだけでは続けていけない昨今だ。誕生して間もないこの大会が地域に定着し、地元から愛され大切なイベントとして着実に続いていってほしいと願う。私はこの地の住人じゃないが僅かな違和感を感じたのは、あくまで第一級の煙火店である磯谷煙火が、単なるゲスト参加どころじゃなく、全編これ「磯谷煙火花火ショーin 伊勢原」とそのまま出張公演しているに留まっている点だ。それが狙いだと返されればそれまでだが、もちろん冒頭に書いたように関東人にとっては凄い御馳走なのだけど、花火大会が地域と共存ましてや市民の市民による開催とまで謳っている割には、地域に根ざした伊勢原ならではの名物、風物、産物、人物を織り込んだ出し物が無いように思う。それが無ければそもそも伊勢原である必要も無くなってしまうのでは?第1回目にはなにやらそういうプログラムが在った気がするのだが……。ここでは「磯谷煙火のオリジナルの花火をそのまま見せる以外のことを許さない」という絶対の意思を感じる。 借り物の芸術で地元民に愛されるかどうか?だがまずは軌道に乗せることが先決といったところか。もっとも単発で見せる割物にさえ観客から歓声とため息が聞かれるのだから杞憂に過ぎないのかもしれない。この伊勢原に花火大会をもたらすために尽力した最初の発起人に問いたい。「これはあなたの望んだ姿になっているのか」と。例えば青森から「ねぷた」をそっくりそのまま招聘して伊勢原で公演したら、ねぷたは伊勢原の郷土の祭りになるのだろうか?
 想定外ということなのだろうけど、お客に対して仮設トイレが圧倒的に少なく、開始前にトイレに向かった知人は戻るまで30分もかかったという。3箇所に別れたトイレには超長蛇の列が出来ていた。運動公園の既設のトイレは使わせない設定なのだから、仮設トイレはこの3倍以上在ってもおかしくない。
 帰路は愛好家仲間に車で川崎市内の駅まで送ってもらって助かった。横須賀線、京浜東北、宇都宮線と乗り継いで日付が変わる頃帰宅。
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