花火野郎の観覧日記2013

観覧日記その13 8/24
第87回 全国花火競技大会 大曲の花火

  
秋田県・大仙市

banana.jpg 昨年同様に、JRのツアーを利用しての大曲観覧。ずいぶん速い時間のスーパーこまちだったが、すでに私共同様に行く先は大曲と思しき客で一杯だった。直前に仙北地方で豪雨があり、盛岡〜大曲間でJRの路線に被害があったようだが突貫工事でほぼ復旧され、徐行運転での通過となり遅れを生じるものの大曲までは順調に着いた。
 暑さを避けるため、仲間共々夕刻まで花火通り商店街の「花火庵」で過ごす。そこでは花火観賞士会会員による花火関連のセミナーが何度かに分けて行われるので、涼みながらそれらを楽しんだ。講師も知り合いの愛好家氏であり、大曲が初めてという観光客も交えて和やかな時間を過ごした。
 いつもはタクシーで会場まで乗り付けてしまうが花火庵から徒歩でゆっくり向かう。バナナロードから入る河川敷は例年通りの光景だ。振り返れば会場に向かう人また人。バナナロードを埋め尽くす客が会場を目差すその時間。大曲が動き出すその時間だ(写真右)。
 今期の有料席は、A席・17,720マス (6人・21,000円)、C席・3,380マス (5人・13,000円)、P席・900マス (2人・5,000円)、団体用のD席88マス (40人)、一般販売はされないD席・822席、S席が144席用意され、桟敷席の総設計収容人数は約129,506人となっている。
 全国から選び抜かれて参加する花火師は昨年より1社少ない27業者。昼花火、夜花火、そしてスポンサー付き広告仕掛け及び大会提供花火に使われる2.5号(2寸5分)から10号(尺玉)までの花火の玉数は約1万8000発と主催者は発表している。
 特筆すべきはいくつかルール改正と開催時間変更があったこと。まず昼花火は西日の関係で見えにくい、審査しにくいということもあって、例年より30分遅らせ17時30分からの開始となった。 夜花火は今まで通りの午後18時50分開催。
 競技種目は昼花火が5号玉5発で、色煙を用いた割物、または吊り物かポカ物。基本的にいわゆる夜玉を流用しないことになった。夜花火は10号玉を使った芯入割物1発と自由玉1発、それに創造花火1組で競うのは同じだが、昨年までは「10号割物の部」で一括審査していたが、これを分けて芯入割物の部、自由玉の部それぞれに褒賞を与える。創造花火では打ち上げ時間はそのままに使える玉を4号、5号合わせて最大80発まで(5号だけ80発とかも可)と拡大した。
 福知山で悲しく残念な事故があったが、大曲では未然に防止する恰好になった。数年前に露天商に発発を使わせない代わりに電気を供給することにしたのだ。発発を禁じたからといって火を使う商売がある以上絶対安全というわけではないが、発発の騒音と排ガス問題は解消された。代わりに河川敷に目障りな電柱が立ったわけだがそれが気になるのはC席からの眺めだけだから致し方ない。
 撮影機材はデジタルカメラ2台。昨年は割物用にはフィルムカメラを使用したが、常用フィルムの製造終了を受けて今回はそれもデジタルになった。大曲に初めて来てから20年以上経ち、今日までに花火はめざましく進歩進化してきた。花火を長らく撮影してきた私も、初めて来た時にはフィルムで撮ることに終わりが来るなんて考えもしなかったわけだが、現在は銀塩のみだったカメラはデジタルカメラに置き換わった。隔世の感在りといったところか。
 開始前に私と同様に長らく銀塩に親しんだ地元写真家とこうしたことも含めてデジタルカメラ談義となった。私はニコンのデジタルカメラを使用しているが、銀塩時代はどっぷりキヤノンだった。しかしAFの時代になってもマニュアルカメラを使用していた私はAFの銀塩カメラとレンズを買い損ねた。その後500万画素の最初のコンパクトデジタルを手にしたがそれはたまさかニコン製だった。デジタルの一眼を買う段になって、ボディも全てのレンズ群も新調しなければならなかった時に、最初のコンパクトデジタルで使い慣れたニコンにしてそのまま現在に至っている。
 昨年末私の手元にやってきた新しい中判デジタルカメラはとにかく手を焼いているという点で地元写真家氏と意見が一致。私がメインで使用するニコンの素直さに比べると世話の焼ける子。だから本番の撮りに出すには難しい面もあってお留守番が多いのだ。花火を撮るに設定や調整点がいくつもありひとつずつ試しているがどれも気に入らない。しかし赤川を経てどうやら落としどころが見えてきた気がする。もともとデジタルカメラは撮りっぱではダメなので、その後の修正にようやく手がかりが見えたという感じ。7割くらいの満足感か、手がかりを元にまたいくつかテスト撮りをして修正できればと思う。これでいける、という到達点に達しないとつまり仕事での撮りには使えないということで。それにしてもラボまかせでよかったポジに比べればずいぶんと手間なことだ。



山梨県 株式会社斎木煙火本店

昇電光雷 彩色煙竜(2006)
山梨県 株式会社斎木煙火本店

しだれ桜
山梨県 株式会社マルゴー

煙竜の舞
長野県 株式会社紅屋青木煙火店
    
 昼花火は日没時の西日がまぶしくて審査が出来ない、というのだがそもそも打ち上げ場所を変えたのが間違っている。審査員席、開花ポイント、太陽が一直線に並ぶ位置で打ち上げなくても良さそうなもの。それで日没後にやってみれば結果は最悪だった。陽射しの当たらないカラースモークは発色が悪く、色はくすんで汚らしく見えて残念。日没と共に薄暗くなるから煙竜はともかく煙菊系など色も形もよく見えない。どうして過去ずっとそうだったように陽射しがあるうちに審査員席の「上流側で」打ち上げないのか不思議だ。そうすると桟敷の下流側から1キロも離れるからか、それなら2箇所で上げれば良いではないか。桟敷の収益総額からすれば5号5発の出品を10発に増やしたところでたいした出品料の増加でもなかろう。
 目新しい良い出品作もあったのに時間を遅らせたために見栄えが最悪。トリの青木煙火だけどうして同じ条件でこんなに鮮やかな色煙が出せるのだろうと不思議だったが、他の全ての作品で黒煙以外の色を使ったものは全滅。昼花火は順光で光が当たり、スモークが鮮やかに立体的に見えなければ意味がない(上、2枚目、昼花火の本来)。
 昼花火競技の後、その昼花火のスターマインが広告仕掛けとして入るのだけれど、おいおい出だしのチョバババーッてとこだけカラースモークだったけど、後は普通に夜花火じゃないのか、これは。昼物と夜物、だいたい煙の主従関係が違う。昼花火のスモークはそれを見せるための物だけど、夜花火の煙は燃焼の副産物じゃないか。それを明るければ残煙で見えるといってもそりゃ違う。夜花火の牡丹を打ったら残煙は煙菊とかそりゃ違う。
 風向きはやや安定した西風で、西要素があるとメインの全観覧席は風下になる。健脚の仲間は裏手に回った。しかし帰りの電車の時刻や橋を渡り返す困難さにそのチョイスは出来なかった。その向風に乗って発煙剤を吊るためのパラシュートがいくつか観客席に向かって流れてきたがゲットには至らなかった。
 夜の部。スタートから青木煙火、磯谷煙火と注目作家が続き緊迫する。5番ほど進んだところで突然の雨。雨予報は無く、全く予想していなかったこともあって、隅田川以来の大慌てだ。カメラも2台出していたから焦る、焦る。デイパックに入れている傘がなかなか見つからない。このままこの夏各地であった豪雨になったらどうしようと焦る。プログラムで2社ほど進むうちに雨も小止みになってひと安心。様子をみてカメラは1台休止にしてメインだけで全て撮る体勢にチェンジ。追い打ちで再び降られたら撤収が困難だ。
 割物も、創造も、どうやら今年は当たり年ではなかったようだ。決まるべき煙火店がいまいち決まらず、観覧するのは割物絶叫大会だった昨年と同じ面子なのに今年は雨に水をさされたせいもあるけど、割物が開花するたび無言で下を向く静かすぎる私共だった。意気消沈の晩。叫ぶことも拍手も少なく淡々と過ぎた。良い意味で期待や予想をうらぎる作品が少なかった。
 多くの業者が毎年競技に合わせて新作や新しい部品を苦心して開発しなくても従来品をまわすだけで地元では十分な花火大会をまかなうことができる。それなら出品は手持ち品でいいではないかと、せっかく選抜制の出品枠があるのにいくつかの出品者がまったく何年も何年も新しいことをしない出し物なのが残念。それなら競技に出る必要はないのではないかと思う。意欲的な他の業者に譲ればいいのだ。競技会でだけは、新しい試みや挑戦や演出を見たいのだ。それをやれるのが競技会ではないか。受賞を狙う競技会の出品者として本来の姿勢なのは数えるほどの業者しかいないのが残念。
 青木煙火の創造は袋井で見て印象的だったので、もう一度見られたのは嬉しい。桜花のさまざまに表情が心に浸みる。
 野村花火の創造は、演出の方向性がこれまでとまるで違う。担当が変わったのだろう。すでに何度も内閣総理杯を得ている同社。過渡期というかさらなる飛躍を秘めての溜めの時期だろうか。
 斎木煙火本店は虹色伝説に磨きをかけた。自由玉が決まらなかったのは惜しいが、創造では変化時間の違う多種の虹色星を単に部品として羅列するでなく、それを多種の玉に活かしている。とくにポカもので多量に滝落としするのは美しさに言葉が出ない。
 マルゴーの創造花火作品は賛否はあろうが、一貫して新しいこと挑み続ける、という姿勢に感銘した。結果が良い場合もいまひとつもあろう。しかし「これまで観たこともない」ビジュアルを見せる方針には驚き、それが大曲、競技じゃないかと膝を打つ。芯入り割物も星の凝った変化はもちろん綺麗な盆が出ていることを嬉しく思った。赤川で、大曲で、長岡で 諏訪で、土浦で同社は常に斬新なことをしてきた。いつから大曲は大曲のための特別なことをする業者が減ったのだろう?私は同社が土浦で手を変え品を変え演出を凝らして毎回違うことをやり続けてきたのを知っている。今回も斬新な昼花火に驚いた。長い大曲でも見たことのない昼花火だった。そして同様の星の仕掛けを夜の部にも投入してきた。新しい花火を完成された技術で見られる。それが大曲ではなかろうか。
 そもそも本割りに挟まる広告仕掛けが10号入りワイド仕様で大会提供すら霞む内容。創造花火が5号最大で相変わらず斜め打ちすら制限されたほぼ一箇所打ちでは一般客は広告仕掛けに拍手をしたくもなるのも当然。出品作家もこの制約の中でどうバリエーションをつければよいのか。面と量で圧倒する広告仕掛けの前に競技スターマインは小さく貧弱だ。土浦の幅もある緻密なスターマイン、赤川の複数箇所を打てる環境。これらに比べて、最大で5号を80発などという改訂では追いつかないほどもう規定で時代遅れになってしまっていると感じる。
 昨年度内閣総理杯を得た煙火店による特別プログラム。花火庵のセミナーで同煙火店へのインタビュー録画が流されたのだが、「和火で総理杯だったから和火を活かした打上を」と答えているのを聞いてちょっと凹む _| ̄|○。昨年1年間あらゆる観覧機会で同社の和火寂びを見せられた私はもうお腹一杯だったが、和火から色ものへと変化を見せ、コーポレートカラーのオレンジで締めた内容はコンパクトだったがまずまずだった、かな?
   

10号芯入割物 昇曲付三重芯変化菊
株式会社磯谷煙火店

10号自由玉 コスモ
株式会社磯谷煙火店

10号自由玉
変幻〜変わり続ける色彩〜
野村花火工業株式会社

10号芯入割物
昇り曲付三重芯往復変化牡丹
株式会社マルゴー

10号自由玉 閃煌花
株式会社マルゴー
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創造花火 桜
世界へ届け日本の心
紅屋青木煙火店
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創造花火 GAME OVER
コンピュータ・ゲームの世界
野村花火工業株式会社

創造花火 おどろ
株式会社マルゴー

創造花火
あなたに捧げる〜虹色のブーケ〜
株式会社齋木煙火本店

創造花火
あなたに捧げる〜虹色のブーケ〜
株式会社齋木煙火本店

特別プログラム
和・美〜和から彩り〜
株式会社山内煙火店

特別プログラム
和・美〜和から彩り〜
株式会社山内煙火店

特別プログラム
和・美〜和から彩り〜
株式会社山内煙火店

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

大会提供「Mission あ」

フィナーレ大スターマイン
   
 大会提供花火については大会概要発表時から「Mission あ」という題名だけで「乞うご期待です」とし、規模などの詳細をベールに包んできた。しかし勿体をつけて、打ち上げも引っ張って引っ張って21時近くにもなってスタートした大会提供は、最後まで何をやっているのか判らなかったし、呆気なく終わりすぎて何これ?と期待はずれ状態。スタート時も大会提供宣言のあと「何?いきなり打つの?」というくらいのロケットスタート。
 タイトルの「あ」は秋田の「あ」ということで秋田名物、名産の型物花火を織り交ぜながらの演出らしい(ということもずいぶん後になって知った)。それなら過去にやった秋田音頭に合わせて秋田名物の型物が飛び交うスターマインの方がストレートでずっと判りやすかった。わざわざミッションとして、Mission Impossibleのテーマに合わせてスパイもの仕立てにする意味不明さは何なのか?そのことと秋田名物とがかみ合っていないちぐはぐさが違和感の元だ。個人的には「大会提供で型物を打たれると思い切りテンションが下がる」。壮大なワイドスターマインでなんで型物?1年間楽しみに待った大会提供花火がさんざん期待を持たせた上でコレなのだろうか。このようなワイドプログラムがどれほど演出に苦心しているのは承知している。それであえて言うのだ。単に「音楽に合わせて大量の花火が上がりました」というだけの物を見せたと。それでたいていの桟敷の客は満足するから成功している。しかしそれがかつてあらゆる花火業者が手本とし目標とした大会提供の姿なのだろうか?申し分けないが大会提供としては私が過去に見た中でもっとも訳のわからないものだった。秋田推しが唐突。なぜ大仙市がやおら秋田県礼賛なのかと考えたら、JR東日本の10月からの「秋田ディスティネーション」キャンペーンがらみ?
 もうおもてなしの余興花火の範疇を出ない内容で、初めて見る一般客はこれで充分感動できると思うが、残念ながら赤川を初めとした先端のワイド打ちを見た後では、全てが時代遅れになってしまった感がある。広告仕掛けにはさんざん10号をワイドで打ちまくるのに大会提供では皆無。広告仕掛け以下の内容だ。A桟敷の幅で10号を打てない環境ではもうこれ以上はできないのかもしれない。サブのカメラを再投入して縦横同時にいくつか撮っているが、小間物のあしらいを打ち上げている幅が極狭なので縦で真ん中だけ切り取れば成り立つ構図じゃないか、というのが縦位置撮りの主旨。
 長岡では混雑緩和のため、フェニックスをプログラム中盤に移動させた。途中でもそれを観たら満足して帰る客もいるからだ。大曲もプログラム中盤、出品が15番も進んだら、20時くらいの時点でさっさと大会提供を済ませて欲しい。出し惜しみなのか終了間際まで見せない、というのは実に見苦しい。 出し惜しむほどの内容か。客を引き留める努力でなく、さっさと帰す工夫をせよ。桟敷の団体客は最大のお目当てが終わればそれを引き上げ時と一斉に帰るのだからそうしてほしい。終了間際まで引っ張るから終わった後の河川敷が大混雑になるのだ。大会提供が終われば団体観光客は半分は帰る。時間差退場だ。実に混雑緩和ではないか。
  大曲が終わり夏も終わりだな、と駅で新幹線待ちしていて同じ場所で同じように思う。大曲は往復の足に宿泊に、有料席入手に、本当に多大な労苦と費用と精神力が伴う観覧なのにそれにもう見合わない。長い大曲の一日なのに花火は何か呆気なくアッという間に終わってしまった感じた。あとで繰り返しイメージを反芻したくなるようなそういう作品がなかったからだろうか、あれだけは観られてよかったという作品が少なかった。
 同時に思うのは、花火が終わったあとのいつもの寂しさではなく、たとえば若い時のように無理できないとか、たくさん機材を運べないとか我が身に置き換えて思う肉体や精神の衰えを自覚するときのような寂しさ。つまり大曲は最盛期を過ぎたと感じたのだ。ここ何回かで感じていた違和感はこれだ。競技のルールを少しいじっただけではどうにもならない停滞感。
 最高峰も踏破してしまった登山客はあとは下るだけ。内閣総理杯をかけた選抜制の競技は相変わらず権威はあるけれど、花火を多量に打ち上げる花火大会としてはなにかもうピークをとうに過ぎてしまったと感じる。私がたくさん見過ぎなのかと思ったがそうではない。100周年あたりの熱狂を頂点に、いやそれ以前か、有料桟敷を爆増したあたりからか私的な「大曲は特別」感が、現実とずれていっている。常に競技会として進化発展していくという方向性も野心もとうに費えたように感じる。それはとても寂しい。時代に取り残される時は、今まさに遅れつつある、などどライブで実感できないものだ。そして後でポツンと取り残されたと気が付くものなのだろう。


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