花火野郎の観覧日記2013

観覧日記その1 3/23
第22回 新作花火コレクション 2013

  
秋田県・大仙市

   
 実に8年ぶりの観覧になる。ずいぶんと長いブランクのようだがたったそれだけ?とも感じている。最初に新作コレクションを観始めたのはまだ第3回目の1994年。それからは毎年訪れた。当時の出品者はそうそうたる顔ぶれで、大玉を使わない制限付きの競技でありながら実に新しく、楽しい作品に溢れていて毎回が楽しみだった。出品者の規定により煙火協会青年部から壮年部?へ移るつまり年齢制限により、出品者は順次この大会を卒業していく。そして新しい世代が新しい出品者になっていくのだ。ベテランと若い世代の両花火師達が混在し互いの良いところを吸収する。一番内容が深く感じられたのはこうした一時期だった。
 2005年を最後に足が遠のいていたのは、名人クラスのベテラン勢がほぼ卒業してしまったところで私もひと区切りついたと感じたのが理由のひとつだ。
 今回久しぶりに行こうと思ったのはまずまとまった打ち上げなのでカメラのテストをしたいというのがあった。それとすっかり顔ぶれの入れ替わった現在の若き出品者の作品に興味があった。斬新で意欲的な作品に出会えるかもしれないと期待した。残念ではあるけれど、各地からの花火作家を迎え撃つ形の地元大仙市の花火作家も卒業が相次ぎ、4大煙火店のうち、参加しているのは和火屋と大曲花火化学工業の2社だけとなっている。
 往路はJR東日本新規投入のスーパーこまちを利用。3月16日から投入とまだ1週間目くらいだから、まだまだ鉄道マニアの熱い視線を浴びている。乗り込む前に記念に先頭車両を撮ろうとしたが、ヘッドライトに目が眩んでいるうちにするすると通り過ぎてタイミングを外してしまった。で、大曲駅で降りたあと撮る。盛岡駅では切り離しの短い停車時間内に車内をひと目見ようと、ホームにいた鉄道マニアが次々に車内を通過していった。
 途中、田沢湖、角館あたりでけっこう雪が降っていた。半年ぶりの大曲はまぁがっつりと雪が残っている。大曲駅からはタクシーを使わなければ会場のファミリースキー場には行かれない。現地に近づくに連れ、道路脇に寄せられた雪が壁のようでこれはいつもより多いんじゃないかと感じる。
 到着後はまずは三脚建立の儀式だ。駐車場の後端が例年の観覧・撮影場だが、なんと駐車場の脇には除雪され積み上げられた雪山が連なっていた。はしはしと登ってみると山脈だ。アルプスの稜線を歩いている懐かしい気分になるじゃないか。そしてピークの要所要所には、車で早朝到着したであろう愛好家氏の三脚が刺さり三角点を指し示しているかのようだ。高い。視点が高い。そしてかつて自分がここでは経験したことのない残雪量だった。一番高い場所では近くの2階建てのテニスコート管理棟さえ下に見ているほどだ。視点が高くなるとより広角のレンズが必要になってしまうが、いいぞ、いいじゃないかこの高み。砂利混じりの雪山はしっかりと固い。しかし平ではないから立って撮影するにはふんばりに苦労しそうだ。
 既着の愛好家氏と歓談しながら長い野外での午後を過ごす。車があれば避難して寝てもいられるが電車組だとここでは屋内の居場所がない。風よけになるテニスコートの管理棟の外に荷物を置いて寒風を凌ぐ。陽射しは春めいているものの時折雪混じりの風を浴び続けるのは辛い。
 機材はデジタル化で少なくなったのに、電車利用の寒冷地撮影では防寒具ばかり嵩張る。現地を見ないと雪の具合がわからないので荷物になってしまうが防寒の長靴も用意してきたのが大いに役に立った。つか長靴抜きで雪上の移動は無理。除雪山に登るのも無理。除雪していない場所ではテニスコートを囲う柵の上端まで雪が積もっているのだもの。結局持参した防寒具をフル装備で着込む。しかし確認したのに最初から失念していたのか、使い捨てカイロを忘れてしまった。
 18時前に雪山に機材を背負って上がり準備態勢。デジタルカメラ一台のみの軽い機材。雪の移動を考えてカメラザックにパッキングしてきた。こういうところに這い上がるに両手が使えないとNG。こんな僅かなでっぱり山で滑落して遭難するなど恥ずかしいじゃないか。
    

大玉割物花火競演
昇曲導付三河牡丹
愛知県 加藤煙火株式会社

故郷の四季〜山梨〜
山梨県 山内俊幸

八重桜
鹿児島県 古閑 毅

五月雨の晴れ間にのぞく淡き華
愛知県 加藤克典

プライベート花火

八重の桜
秋田県 久米川和行

上を向いて〜希望の光〜
福島県 酒井崇嗣

色彩変化
〜懐かしの変わり玉〜
秋田県 新山良洋

あなたに贈る、
スプレーフラワーブーケ
山梨県 齋木啓介

FINAL HANABI
  
 風向きは北西から北方向で、ゲレンデ下の駐車場が風下になるいつもの風。私が過去に経験した中では順風は一度もない。しかし競技に限っては玉数が少ないので毎回の煙は綺麗に流れ去っていく。
 プログラムは標準玉、大玉(7号玉)割物花火競演、競技、プライベート花火(7号玉)、インターバルスターマインというひとくくりを3回繰り返してファイナル。
 割物花火競演7号はその組の出品者のエントリー順に続けて打ち上げ、次いで4号と5号の競技に入る。打ち上げ前に出品者が作品解説をアナウンスするスタイルは変わっていない。とはいえ自身の出品作を、会場の一般客に向けてわかりやすく言葉で説明するというのはなかなかハードルが高いだろうと推察する。普段花火師達と観客の接点はあくまで夜空に展開する花火を通してのみだけで、こういう意図で作りました、こういう風に見えるはずです。というのを直接観客が聞く機会は無いからこの大会でのこうした趣向は実に面白い。
 プライベート花火はプログラムに記載されていないが、いわゆる個人協賛のメッセージ花火で本体は7号単発打ち。割物花火競演と同様にメッセージとともに玉名がアナウンスされて打ち上げられた。これも7発くらいで3回行われたが地元の煙火店が持ち回りでそれぞれの回の全て受け持つという風で見事な7号玉が上がっていて堪能できた。それぞれのメッセージはプログラムに記載が無く、打ち上げられる直前に初めてアナウンスされ、観客もそこで初めて一度きりのメッセージを耳にする。中には心に浸みるそれもあり、依頼者の願いにそっと心を添えたくなる。
 ここでは何度も撮っているからまごつくことはないけれど、視点が高いので予想していたよりやはり広角目になった。標準審査玉で画角を確認したら、5号に変わるところで上がはみ出したのでレンズを交換した。本割り競技の15発を全部撮るのか、どこかで分けるのか?そのあたりが好みだし出品作にもよるのでなかなか判断が難しいところ。しかし撮影は常に足下に気を遣わなければならなかった。広く平らなわけではないから、ちょっと撮影中足の位置を変えるだけで滑り落ちそうになって踏ん張って、とやっているうちにまたまた腰を傷めてしまったらしい。ホテルに戻るとけっこう痛くて一晩中気が気じゃなかった。
 作品を通じて「多色変色星」「時間差変色星」が比較的多く、近年の傾向と感じた。とくに短時間で何色も変色する手間のかかる星はひとつの流行りだ。ただあまりに短時間でめまぐるしく変わり、かつそれが明るいと変色が判別しずらくなる。かといって4号や5号の星では変色をゆっくり見せている間に星が落ちてしまうしタイミングが難しいところだろうなぁ。難しい明るいパステルカラーでの点滅星なども綺麗に発色していたりして、色彩については私としては本当に楽しめる近年だ。
 マジック星に代表される時間差星を上手に使っていたのが、銅賞のスマイルの型物で、普通の笑顔から大きくニッコリと表情が変化するのを遅れて発色する時間差星で表現していた。
 ファイナル花火では、今最も注目の赤い新幹線「スーパーこまち」と秋田の観光を花火で表現、と銘打ってJR東日本提供のワイドスターマインが披露された。打ち上げの合間に運営部長により、「ナマハゲを表しています」的な花火解説が同時に行われたのが面白かった。さすがにスーパーか、アッという間に目の前を走り去ってしまったようなスピーディなひと幕だった。隣の観覧者にどれが「スーパーこまち」か?と聞かれたが、そんなこと言われても……。
 終了後は片づけて後場所を変えて、競技の審査発表に出席した(写真・受賞された出品者)。  花火観賞士によるボランティアスタッフを含め初観覧当初からは比べモノにならないほど、組織だってスムースに運営されていると感じた。22回目か。手作り感たっぷりだった冬の小さな花火競技会がよくぞ20年以上も続いてきたものだと感慨深い。出品者、主催者、スポンサー様、ボランティアスタッフの努力、協力のたまものと心より讃えたい。

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