花火野郎の観覧日記2017

観覧日記その24 11/23
第112回 長野えびす講煙火大会

  
長野県・長野市


個人協賛特大スターマイン

個人協賛特大スターマイン

全国10号玉新作花火コンテスト
虹色のグラデーション
山梨県 斎木煙火本店

全国10号玉新作花火コンテスト
天空に咲く桜花美人
東京都 ホソヤエンタープライズ

全国10号玉新作花火コンテスト
八重二度咲きの花
福島県 菅野煙火店

全国10号玉新作花火コンテスト
晩秋の寂び菊
山梨県 山内煙火店

全国10号玉新作花火コンテスト
モーショングラフィックス
長野県 太陽堂田村煙火店

全国10号玉新作花火コンテスト
光のプースカフェスタイル
秋田県 響屋大曲煙火

全国10号玉新作花火コンテスト
信濃の花車
東京都 丸玉屋小勝煙火店

全国10号玉新作花火コンテスト
モノクロームの煌花
群馬県 菊屋小幡花火店

ミュージックスターマィン
信州煙火

ミュージックスターマィン
信州煙火

10号玉5発
信州煙火

10号玉5発
信州煙火

10号玉3発
信州煙火

ミュージックスターマィン
青木煙火

ミュージックスターマィン
青木煙火

10号10発一斉打ち
青木煙火

8号玉100連発
特大ワイドスターマイン

8号玉100連発
特大ワイドスターマイン
   
 自宅を午前8時前に出発。住処の辺りは本降りの雨だった。現地も午頃まで雨予報なので、止んだ頃に到着すればいいかなと。
 関越道はずっと土砂降りで、車に当たる雨音がうるさいほど。上信越道に入るとそこからほぼ止んだが、変わって東部湯の丸、小諸、佐久、上田といった通過地点は速度規制が出るほどの濃霧。前方で道がかき消えている、といった緊迫の走行だった。周りを見回しても真っ白で、道路の外は何も見えない。先行車に「車幅灯」くらい点けて欲しいなぁと、と思って接近するとちゃんと点ついてた。その灯りが視認できないほどの濃霧だった。
 最後のトンネルを抜けて長野市に至るとそこもうっすら霧模様。天気はどうなるだろう。当初の天気予報よりは好転しているのだけれど。
 いつもの場所に車を入れると、もう多数の愛好家氏が現着済みで、車のそばで早くも宴もたけなわのグループが居たり。
 三脚だけ持って日赤辺りの観覧地点の様子を見に行く。私の到着が遅めのせいか、既に多くの知り合いが思い思いの場所に陣取っていた。 完全防備で行ったら午後は陽射しが出ると暑いくらいの気温だった。それでも天気が好転したのは嬉しい。
 しかしここで地元の知り合いや既着の愛好家氏たちから驚く事を聞かされる。各地からの愛好家の為に取っておいた場所が、何度もロープを切られ、横取りされたらしい。それ以外にもあちこちで場所取りシートが剥がされてまとめて捨てられていたり、場所取りの材料だけ(ペグなど)持ち去られたり、すでにあるシートの上にさらに敷いたりと、とんでもない場所取りが行われたという。全域でそうだったというのではなく、やはり日赤前の中央部に限られたようだ。
 シートやロープ、杭打ちなどの撤去が主催者による、一斉撤去(全部剥がす)というなら理解できる。しかし人の取った場所が良さそうだからと、在ったシートを剥がして自分のそれを敷き直す。つまり人の場所を奪い取る、というのだからにわかに信じられない。もちろん在ったシートは別の場所に捨てるのだ。こんな場所“盗り”をするというのは私も観覧経験が長いけれど、日本の花火大会の場所取りでは滅多に聞かないくらいの横暴だ。えびす講も凄いことになったなぁ。この日本で本当にそんなことが起きているのか?もちろん先にシートで占有したからと言って、法的に権利が生じる訳ではない。しかし早い者勝ちで確保された場所があればそこは尊重して侵さないというのが不文律。暗黙のしきたりだったと思うのだが、どうやら長野では、そんな仁義は通用しないらしい。これを防ぐには持ち主はずっとシートに貼り付いて夜通しだろうと3日間だろうと見張ってなければならないわけだ。
 私は別の大会で、場所取りの様子(位置)と時計を一緒に写し込んだ写真(自分が先に取っていたという証拠写真である)がある旨ををその場所に掲げて主張しているのを見たことがある、あとで誰かがシートを捨てて横取りしても「そんなものは無かった、空いていた」などと言わせないひとつのアイデアである。
 苦笑してしまったのは、先に場所取りした撮影組が、「三脚を立てます」とガムテにマジックで書いて置いたら、後からその後ろに場所取りした見物客が「前に立つな、カメラ使うな」と手書きの札を掲げていたこと。後から来て何言ってくれてんの?間際にやおら三脚立てたら文句言われそうだけど、先に通告しているのにガン無視とか、あはは。
 こういう観覧場所の略奪が許されているなら、主催者は手に負えないトラブルにならないうちに、ルールを決める必要があるし、正規スタッフによる前日以前からの監視も不可欠なのではないだろうか。そんな人件費はかけられないだろうから実現しないだろうけれど、近年は内外から多くの客を集めて盛況だが、日本人同士はもちろん、言葉も習慣も通じない客同士でいつか場所取りでとんでもないトラブルが起きるのではと危惧する。もしくはこうした仁義なき場所取りが行われる日赤前の限られたエリアは完全なる有料区画にしてもよいのではなかろうか。
 私はけっこう前から開幕スターマインに協賛して個人協賛席を得ているが、今回初めてそこを使ってみた。もう中野えびす講に行きがてら2週間前に場所取りするとか、そういうのは無理無理なのである。それにもともと何週間も前からとか徹夜でとか熾烈な場所確保が嫌だった。近年は知り合いの場所を分けて貰ったりご厚意に甘えさせていただいていた。なぜならもう当日や前夜からでは、好みの場所は自力ではとても確保できないようになったからだ。この日の場所盗りを聞くに及んで、下手をしてトラブルに巻き込まれるのは御免なので、今後もこの大会を観るなら協賛席を確保したいと思った。
 事前に長野の知り合いから送って頂いたプログラム誌に目を通すと、長野オリンピック/パラリンピック20周年の特別プログラムが掲載されていた。
 あれから20年も経ったのか。と感慨深い。1998年に行われた長野冬季オリンピックの閉会式に盛大な花火打ち上げがある、ということを知ったのも、その前年にこの長野えびす講に来ていた時だった。そして翌年、実際に私は閉会式に打ち上げられた素晴らしい花火を目の当たりにしている。大会関係者でも市民でもなくこれをナマで見られたのはラッキーだったと思う。昨今は花火愛好家、写真や動画の愛好家は無数に居るけれど、この閉会式花火を実際に観覧した人は極めて少ないどころか、20年前に既に花火愛好家だった人はほとんど居ないのではないだろうか。当時閉会式会場現地で言葉を交わしたその極めて少ない写真愛好家氏の一人がちょうど隣に駐車していたので思い出話をしてしまった。当時の様子について詳しくは「1998長野冬季五輪閉会式花火スペシャルリポート」を参照して頂きたい。長野県内の全煙火業者が参加した最高の花火の一幕はオリンピックの国際映像でも途切れることなく放映することはなかったので、花火の全貌を最初から最後まで観られたのは、スタジアムの中の選手と観客、外で見物していた地元の観覧客だけだった。
 もちろん今夜のプログラムでその時ほどの花火の規模は望めないが、体験者としては妄想が膨らむばかりだった。なにしろこのプログラム誌上の告知に1ページ全部を割き、それはミュージックスターマインの掲載面積より大きいのだから。しかし現地に来てから色々な愛好家や関係者から情報を得ると、どうやら周年事業での予算はそれほどでもないようで、とても過去の閉会式花火には届くはずもなかった。しかし観客側最前面にこのプログラムで使う文字打ちの仕掛け(星を打ち出して空中に文字を描く仕掛け花火)が設置してあったので、何と表示するか楽しみだった。
 個人協賛エリアは16時開場で、入場順に好きな場所に陣取る方式だから、事前にゲートに並んで待機した。それで時間的に今回は打ち上げ現場訪問は遠慮させていただいた。そして時刻になって三脚を手に走り込み、ようやくこの日の観覧場所を得た。打ち上げまでの時間を考えると、せっせと準備せざるを得ない。
 そうして夜の部は予定通りにスタートしたが、冒頭の全国新作コンテストの3発目でいきなり打ち上がらないトラブルがあり、長らく中断した。アナウンサーの場つなぎネタが尽きようかという頃、ようやく、しかも突然打ち上がった。だからこの3発目はいきなりすぎて撮れなかった愛好家も居るかも知れない。
 ブログラム全体は時代の流れか、もはやスターマイン大会といってもいいほど、かつて大勢を占めていた10号単発が激減していた。プログラム誌を見るとまるまる1ページ全部スターマイン、と記載されていて驚くばかり。もちろんスターマインの中に10号や8号も入っているだろうが、えびす講煙火の醍醐味は多彩な10号単発にあったのだから大きな変わりようだ。かつて1発として同じ割物は上がらない。そのことに真剣勝負で観覧したものだが、もはやそれほどの割物は数えるほどだ。スターマインも似たような物が多く、これまた同種のスターマインは1セットも上がらなかった昔が懐かしい。
 風向きは予報どおりの時間もあったが、北東から東という予報を裏切られ、西南西、東南東、または南と、南成分の入ったメイン側風下気味のよろしくないコンディションだった。しかも南?風?とまさかの風下を意識したのは17時もまわった頃。目の前の露店商からの焼き物の煙がまっすぐこちらに向かっていた。初冬に南まじりの風とは。過去に無かった訳ではないが開始直前にそう変化してくるともう結果が見えて萎える。しかも風が左流れ右流れ、風下、とめまぐるしく変わった。
 特別プログラムだが途中で挟まった文字打ち仕打ち仕掛け。OLYMPICの文字だったようだが、1文字も読めず、あっという間に終わった。
 結婚紹介雑誌からみのプログラム。こういうのはなぁ興が冷めるってやつ?。各地にあるメッセージ花火に小玉の1発を自費で協賛し、そこに告白やプロポーズを託してくる、というのは可愛い微笑ましいと思えるが、企業がお膳立てをし、司会者までたてて大勢の前で商売・宣伝で公開プロボーズショーをやるとなれば話は別だ、両人を観客公衆に晒し、さぁプロボーズをどうぞ、と司会者に振られ、そして相手の返事を聞くまでがショー仕立て。出版社は花火に多額の協賛をしているのだろうけど、だってプロボーズより雑誌の宣伝で広告で商売でしょ?公衆の面前でごめんなさいするわけないから(成立しないと花火上がらない? ごめんなさいしたら、後の思い切り気まずい空気はどうするのかしら)、仕込みではないの?それで成立したから皆さん拍手をどうぞと司会進行されても手を叩く気もガンバレ、という気持も起こらない。どうやらこの雑誌はこのような公開プロボーズショーをあちこちの有名な花火大会でやっているらしい。当事者と雑誌関係者以外の何万人もの花火を見に来た観客にとってどうでもいい時間。幸せな二人はさておき、いいからさっさと花火を上げて先に進んでよ。寒い季節なのに長いんだよね。プロボーズだのバースデーなどはおよそ花火大会という場所では打ち上げ進行を滞らせるだけの出し物と思うのだが。
 カメラは2台使って、ひとつは14ミリの広角を用意したが、さすがに下部に夜店などを入れると幅は入っても10号の天地までは無理な間合いだった。かといって地平が曲がるのが嫌いなので今後も魚眼などは使わないだろうけれど。そもそも今夜のコンディションは技術やカメラの性能以上の問題で、その風条件が悪すぎて、画角に入ったかかタイミングがどうかなどどうでもいい結果だった。
 片づけて挨拶もそこそこに車に戻るが、日赤前の一部の堤防道路や河川敷は観覧客が押し合いへし合いの状態で、そこを抜けるのにしばらくかかった。
機材を積み込んで車を発進させたのは21時。長野インターを21時15分に通過。途中横川SAで遅い夕食を摂って帰宅は午前0時だった。


    

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