花火野郎の観覧日記2017

観覧日記20 9/9
片貝まつり浅原神社秋期大祭奉納花火

  
新潟県・小千谷市片貝町

 片貝まつりはフェーン現象で猛暑だった2006年度の初日9日を最後に観ていない。つまり今回は11年ぶりの観覧になる。間が空いたのは、この間6年くらいはマイカーが無かったことが直接の原因で、取り戻してからも計画はしたのに天候が思わしくなくて止めたりと、巡り合わせが悪かった。
 今年は9日、10日の固定開催日が土、日になるという滅多に訪れない好機会。そして天気予報も申し分なく、ゆえに相当な混雑が予想されたが、久しぶりに出かけることにした。両日とも見たいと思ったが、片貝まつりは打ち止めが極めて遅いので、どんなに早く撤収しても帰宅は午前3時とかそれくらいになる。だから両日観覧は難しいかな、という見込みだった。月曜の午前3時に帰宅して仕事に出るのも厳しい。
 片貝パイパス沿いの花火筒モニュメントの近くに現着したのは午前9時頃。すでに快晴の空は強烈な陽射しだった。とりあえずバイパスに駐車できる時刻まで直ぐそばの須川の近くに駐めようと思っていたが、付近の狭い農道には両サイドにおそらく深夜のうちに路駐したと思われる車が延々と連なっていてびっくりした。川沿いの農道にも、いつからそこに居るのか、あきらかなキャンプ目的の車が10数台居て、朝餉の準備をしているようなそういう状況だった。なんとか歩ける範囲に路駐して須川沿いに三脚を置いておく。そんな程度の作業のうちにも汗が噴き出すような天気だった。
 しばらく来ていなかったので桟敷近辺の様子がわからなかったし、桟敷近くで観覧できなければ、この小さな川の畔で撮ろうと思っていたからだ。この場所も片貝に来始めてから私が開拓した観覧場所で過去に何度か撮影した。その頃は駐車車両などほとんど無かったのだけど。打ち上げ場所からは1キロメートルほど離れていて桟敷の喧噪とは無縁になるが、大玉の高さも出る良い感じの撮影地なのだ。しかしこの調子では夜までには、見える範囲くまなく駐車車両で埋め尽くされそうだなぁ。
 それからロケハンを兼ねて軽装で久しぶりに浅原神社や桟敷席周辺、物産売り場のある目抜き通りを見物しに行く。バイパス方向を見ると早くも駐車列が出来ていたので、それが延びないうちにみんなの広場近くのバイパス路肩に車を移しておく。ここは長岡方向の車線だけ祭り指定駐車場として路駐できる。
 参道を通り浅原神社にお参り。それからまだ入場時間前で開放されている桟敷席の中を散策すると、青空の下で圧倒的な量の紅白幕に囲まれた一帯は、以前とまったく変わらない異世界な空間を創り出していた。町中はあちこちで住宅が造られ、あるいは建て替えられていても、神社境内や桟敷の雰囲気はそのままだった。
 既着の愛好家氏と何人も桟敷近辺で出逢い、そうした愛好家氏たちの情報などの助けもあり、桟敷近くに以前のように撮影場所を得ることができた。桟敷席は向かって右側に拡張された様子だったが、それは土日開催で通常よりお客が多いからのようだ。番附を買い求め、いったん車の様子を見に戻る。規制される13時を過ぎればもうどうどうと路駐タイムなのでその後は放置で問題なし。最初の川沿いの三脚を回収。
 久しぶりに訪れて、いちばん私にとって大きな変化というか驚いたのは、花火筒モニュメントのある、ふれあい広場の一角にそびえ立っていた背の高い2本のポプラの木が無くなっていたこと(写真・消防センターが無い頃)。そこには2つの朽ちた切り株だけが遺っていた。玄関を出ればポプラが見えそうな所に住んでいる住民に声をかけていきさつを尋ねると、5、6年前に伐採されたらしい。広場の脇に片貝コミュニティー消防センターの建物を新設した時、と言われたがその建物は少なくとも2005年にはポプラの木に隣り合わせて既に建っていたので、老木となり倒壊の危険があるとか、病気にかかったとか、何かそんな理由かもしれない。私にとっては片貝のシンボルともいえた木が無くなってしまったのは残念だった。1990年に初めて訪れてから、この広場が毎回利用していた駐車場だったことから、常にポプラはそこに在ったからだ。かつてここに旧国鉄魚沼線、片貝駅の駅舎が在った頃から駅前広場のシンボルのような木だったに違いない。広場の中央の芝生部分はそのように指定されていたわけじゃないが当時は格好のキャンプサイトでとりどりのテントが張られていた。そのうち駐車場も一般客は使えなくなり、キャンプも禁止になった。今思えば花火筒モニュメントをバックに記念写真を撮ると、まるでモニュメントはそう計算したかのように、ポプラの木も一緒に写るような配置なのだと思う。
 もうひとつの残念は、よく土産として直売の煎餅を買っていた新野製菓の社屋が廃墟になっていたこと。同社は2010年、やはり私が来ないでいるうちに、不況により事業整理して倒産ということになっていた。片貝まつりに来るたびに、代表作の「味の名作」をはじめとして、大きな紙袋一杯にいろいろな煎餅を買っていた。とくに直売でしか見たことのない壊れものの詰め合わせは大好きだった。
 現在の広場のシンボルは花火筒モニュメントで、四尺、三尺三寸、三尺、二尺、尺、七号から三号までの9本の打ち上げ筒が並ぶ。この日も筒の前には記念撮影のためのビールケースによるひな壇が設けられて、業者カメラマンが常駐していた。代わる代わるやってくる奉納の連が記念撮影をしていくのだ。このモニュメントは2002年に脇を通る片貝バイパスが開通した時に同時に造られたもので15年が経つ。私はこれが完成した年に観覧しているので新品状態を見ている。さすがにあちこちに経年変化がみられて月日が感じられた。

 昼ごろにまず三脚2本だけ桟敷近くに運んでおく。バイパスから神社境内までは緩やかだけどずっと登り道になっているので分けて運んでおこうというわけ。午後は境内近くの日陰の路地に座り込んでずっと涼しく待機していた。そして午過ぎからピールしたせいでそのまま往来で寝こけてしまった。運転疲れもあるが、早朝から陽射しも強くて消耗した。
 16時から桟敷席へお客の入場が始まると。境内は一気に賑やかになる。町中からは絶えずどこかの連の木遣りやしゃぎりが聞こえて、まさにどこに居ても片貝まつり。
 機材を取りに戻ると、関越道に続く広い水田地帯で車が通れそうな農道という農道はみっちりと駐車していた。過去に観覧した中では2005年の9月10日が土曜日だったが、その時も同様だった。さすがに土曜開催日。しかも天気も良いのだからこうなるか。バイパスには駐車場所を求める車が渋滞して延々と連なり、帰りはいったいどれほどの混雑になることかと思った。それと最初に三脚を建てた川縁も、以前なら花火方向を見ても画面の下は田圃だったけれど、今ではキャンプ可能な巨大な駐車場の中で車やテントに囲まれて撮ることになるような状況だった。
 遠く離れて観覧するなら問題ないが、桟敷エリアでは観覧場所も桟敷席も山斜面に設けられているから、傾斜がある。普通に三脚を建てると前方の桟敷席などの見切りが高くなるので、ここでは背の高い三脚や脚立があるとアングル的にも良い具合になる。車で乗り付けているのでこれらの用意も万全。周囲に居る他の写真やビデオを録る愛好家氏も、こぞって背丈のある三脚と脚立や踏み台を揃えて武装。
 そして辺りや手元も見えにくい夜が訪れ、星も瞬く夜空の下で、変わらぬ名調子のアナウンスと共に、いつもの片貝祭りが始まった。境内近くでこの口上を聴きながら花火を楽しむのが、やはり一番片貝まつりを味わえる。暗くなるとさすがに日中の熱気はどこにも無く、冷え込んできたのでレインウェアの下だけ風よけに着こんだ。
 カメラは1台で撮れそうだったが、予備でもう1台横位置で同時に撮った。脚立に乗って使える背の高い三脚は1本しかないので、メインはそれに、サブはやや低い位置に。以前と撮影位置というか向かい方向が違うし、10年前と比較するとその間にメインの打ち上げ場所が約100メートル後方に下がっているので、つまり経験だけでは画角が読めなかった。
 それは最初の尺でございます、が上がってみないと判らなかった。そして画角に関してはズームを使ったが縦24ミリ固定で済んだ。横位置も同等で、全ての打ち上げをその画角のまま撮りきった。以前に撮った事のない位置だったので、二尺〜四尺の出所が不明だったが、なんとか合わせた。三尺だけ予想よりずっと右方向だった。
 夜の部、桟敷の近くにいて気が付いた。お立ち台に上がってくる奉納集団が引いてくる玉送りの屋台の電飾がカラフルなこと!これは昼間観たのでは気が付かなかった。この10年余で一番変化したことではなかろうか。かつてせいぜい電球で行灯にしていたものが、色とりどりのLEDで飾られ、しかもカラフルに明滅してまるでTDRのエレクトリカルパレードの山車だ。
 打ち上げられる花火内容は、新しい時差明滅星や八方咲きのバリエーションに加えて、従来からの大柳火などが健在なのが嬉しかった。筒場を下げて存分に打てるのか、本来の引きの長い星を使った大柳火で、初日はけっこう多めに打たれた。得意の千輪物も種類が多く、屋台の電飾じゃないけど、全体にいっそうカラフルになった気がする。
 開始当初の風向きはまずまずで花火もスッキリ見えたが、打ち止めまで何度も向きが変わった。そのうち上空10号開花域は煙が停滞し、途中はほとんど撮らなかったくらいだ。好天でも風のコンディションまで最高というわけにはいかない。それでも久しぶりの片貝奉納煙火の花火もその雰囲気も充分に満喫できた。
 天気は悪くなかったし、結露するほど冷え込みもなかったが、風向きで燃え殻か、たまに水滴とか、たびたびレンズを汚し、また曇ったりしたので頻繁にクリーニングしながらの撮りだった。
 終了後はまず負荷になる機材を積みに車に戻る。既にバイパスは果てしない渋滞の列。すぐには動きそうもないので、飲み物を買ったりトイレのために境内方向に戻る。1時間も経たないうちに、桟敷も境内も客がすっかり抜けて閑散として、じきに桟敷の灯りも落とすと放送していた。こうした祭りの後の抜け殻のような会場もいい雰囲気だ。熱気が次第に発散されてひんやりとした秋の冷気と入れ替わる。みっちり車が連なっていたバイパスもやがて少しずつ動き出したので頃合いと車を出す。
 どのルートで帰るか考えたが、交通規制もあって山越え迂回ルートに入るのが難しかった。途中で来迎寺方面直進かバイパスから関越道方向への右折の2択規制。直進で長岡ICという手もあるが、信濃川沿いに大きく迂回して小千谷ICに向かうという15年以上も前によく使っていたルートを辿ることにした。その当時は毎回帰りはその道だったので、道順を覚えていてナビなんか無かった時代にすいすい走れたが、さすがにもう忘れた。ナビに案内を任す。車を出してしばらくGPSが効かず太陽フレアで死んだかと思ったが、迂回ルートに入る頃使えるようになった。この道は小千谷方向はよく流れているので超快適だ。それでも正攻法で東側から小千谷ICに接近すると直前で渋滞しているので反対の西方向から入らなければならない。これも昔使った手なのですんなりとETCゲートを通過。午前0時だった。それから眠くなっては仮眠を2度ほどやって自宅着は午前5時過ぎ。以前なら一気に走れたのになぁと思って最終となった2006年の観覧記を読むと、11年前も関越トンネルに入る前に沈没して、帰宅は午前3時半だった。来年は日、月曜日の開催となり、また当分は行けないだろうと思う。
 10日分の奉納はBSの中継で観覧した。要所のいくつかの大型の番外奉納以外は、ゲストとアナウンサーの会話ばかりで花火そのものをほとんど映さない中継に呆れていた。二人の背後で次々に曲導が昇っているのに、カメラは二人の会話を撮り続けるのみ。花火の実況中継ではないのですね。また花火向けカメラの1台はずっとピンぼけのままでモニターも観ていないのかしら。
    
    

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