花火野郎の観覧日記2017

観覧日記16 8/5
佐倉花火フェスタ2017 第57回 佐倉市民花火大会

  
千葉県・佐倉市

 ここはまだ大会名が「佐倉印旛沼国際花火大会」だった1994年に一度訪れている。インターネットもこの観覧記も無い頃。しかし自分の観覧ために書き記した「手書きの」日記は残っているので、当時の観覧の様子を知ることが出来る。この日の観覧を終えてあらためて読み返してみると同じ場所で同じような設置の花火を観ていた事が判る。もちろん内容は現在と大分違うが当時から二尺玉も水上花火も上げていたし、担当煙火店も基本は同じだ(現在は野村花火以外にも2,3社増えている)。国際と銘打っていたのは、日本の花火と外国の花火を両方披露することが目玉だったから。
 1994年に特筆すべきことは花火会場中心にある「佐倉ふるさと広場」にオランダ風車「リーフデ」(写真右)が佐倉市制40周年を記念して新たに建設されたその年だということ。水くみ用の風車は専門の技師を呼んでオランダにあるものとまったく同様に造られた。以来、建物の高さ16メートルの異国の風車は、印旛沼の象徴的な点景として現在に至っている。当然ながら花火の時はそれと組み合わせる構図として長らく親しまれてきたようだ。
 かつてはマイカーで訪れたのだけれど、今回は京成電車。お高い有料席を買わないと駐車場が付いてないのと、電車の方が遙かに安く行き来出来るからだ。その代わり2つの最寄り駅からはどちらも4キロメートル超の歩きを余儀なくされる。
 現地に着いてわかったことだが、1994年に来た時に駐めた観覧場初に近い河川敷のような駐車場は同じように在ったが、主催とは別の運営のようで、一台3,000円となかなかの料金だった。
 本日は花火大会集中日。近隣の同日開催でも、江戸川、古河、上田、足利、砂沼(中止になった)等々。この中で近場で最近行ったことが無い場所で、と江戸川か佐倉と絞った。佐倉は通常の煙火店に加えて今年は野村花火工業の10号30発が入るというので来てみた。他に大型のワイドスターマインや二尺4発もあるらしい。というか昨日野村花火は堪能したばかりなのだけれど。
 往きはJR日暮里駅で京成線に乗り換え、京成臼井駅から会場に向かう。特急で1時間ほどだが臼井駅で降りるには手前の勝田台駅で各停に乗り換える。最初の2キロメートルくらいは住宅街と京成線の線路沿いを歩き、途中にある浄水場を過ぎると現地まではずっと水田脇の道路となる。もちろん全道程日陰はなく焦がされながら歩く。驚いたのは、駅を出たその場所から、会場までの4キロの道に一定間隔で案内・誘導のための警備員が多数配置されていたことだった。しかしこのルートで行くと途中、打ち上げ現場脇を通るので、遙か遠くの沼縁に建つ二尺筒4本のほか8〜10号筒なども眺める事が出来た。メイン会場まで着いてしまうとこれらが見えない位置だったので打ち上げ位置が正確に掴めたのは徒歩の恩恵か。
 現着は14時50分で、協賛してあった一番安い自由観覧席の入場は15時からだった。ゲートオープンでエリア内の好きな場所に陣取るわけだ。辺りをロケハンしたが、入って最初にエリアの最前列に三脚を置いた位置に最終決定した。会場全体の佇まい、打ち上げ位置、そしてこの場所の象徴である風車とか必要な要素がインプットされれば最適な撮影位置はだいたい察しがつく。
 打ち上げ列は正面に相対しているわけではなく、どの有料席からも右手側がより近い斜めに配置されている。そのセンターあたりで私の位置から約700メートル超くらい。これで有料自由エリアの一番前だから一番後ろならプラス200メートルといったところ。
 現地は日陰が無いので、仮設テントとかのわずかな日陰で凌ぐ。エリア脇にはたくさんのひまわりが咲き誇っていて壮観だった。
 夕方17時過ぎから小雨が降り、小一時間観覧場所で傘をさして待機状態になった。打ち上げ当初は多少大玉で霞んで見えたがその後は好転し、背後では月が綺麗に見え始めていた。
 機材はカメラ1台、レンズもズームで1本きり。往復の長い歩きをザックを背負ってと考えて、極力機材を削ってきた。会場までは舗装された道だが、有料席区画は休耕田のような土と草の空き地と考え、カートは多分転がせないのではと考えた。区画最前列で後ろは座っている一般客という位置関係もあり、今回は境町に続いて折り畳み椅子に座った高さでの撮影。これで視点が問題ないのは入った区画全体がその前の椅子席の区画より一段高い場所だったから。
 打ち上げ物のプログラムがスタートする前に、佐倉市青年会議所有志による手筒花火が披露された。間近で観るには高い有料席を買わなければならないが、10メートルほどにも吹き上がる火柱は遠くからでもそれなりに楽しむことが出来た。
 本割りの打ち上げが始まってみると、開幕スターマインの後はプログラムにスターマインと書いてあっても、そのアナウンスはなく、次々に点火して「次は・・・」無しにどんどん進んでいくのが普通と違っていた。
 最初は次々に場所を変えて打ち上がるスターマインにいちいち縦位置でカメラを振って捉えていたのだが、1/3ほど進んだところで様子がわかり、つまり常に横位置でいけばいいんじゃないかと考えたわけだ。それで常に画面の右隅に風車が入ることになった。
 位置的に向かって右前方に見える風車は画面内に入らないのでは?と考えていたが、スターマイン中心の設置場所や、フルワイドで打った時の規模から常に画面内に点景で入るような撮影位置だった。左脇を通る京成線から、右端の風車まで会場全体が入り込む「これはなかなか良い場所だった」と考えた。
 前半終了と後半スタートでようやくアナウンスが入り、これからが見所というような内容だった。後半の部はゲスト煙火師の野村花火による10号30発で幕開け。内閣総理杯連続受賞の日本一の花火とアナウンスして最初の20玉は玉名を読み上げながら1発ずつ。残り10玉は全て芯入錦冠で連続して発射した。一般客にとっては玉名はプログラムに書かれていてもアナウンスされてもそれだけで玉の内容がわかるわけではない。だから最初の四重芯にどよめいて、時差点滅の万華鏡が3発目に上がるもうその時には、「普通の花火じゃない」という雰囲気が周りに満ちていた。玉名でわからないから、次はどんな凄いのが来るのか、と固唾を飲む空気。そして静かな感嘆の声で周りはすっかり静かになってしまった。風はほぼ順風で、久しぶりに型崩れのない綺麗な盆の野村玉を見ることが出来て満足だった。
 続くのが一番の出し物であるビッグ・プレミアム・スターマイン。打ち上げ幅は300メートルと繰り返し告げられたが、物量はもちろん打ち上げている所要時間も長く、想像以上に規模が大きかった。途中でまだ続くのか?と思ったくらい。7〜8号程度が入るワイドは横位置でこの日それで足りるだろうと持ってきたズームレンズの広角側限界の24mmだった。自由エリアは一番離れた区画なのでどうせ50mm程度の標準から先だろうと思っていた。たしかに縦位置ならそうなるが、横で10号まで捉えると24mmで上が厳しくなるくらいだった。二尺は一番遠いが横で捉えると頭が少し切れるくらい。これではもっと前にある高い席では撮影に関する限り、超広角で無理矢理入れるなど画角的にかなり厳しいとみた。
 終盤は、各所から位置を変えてのスターマイン、8号3箇所打ち、水上スターマインと次々に進み、途中で二尺千輪1発。またスターマインが続き最後に二尺芯入錦冠3発が連続発射して終了。そう、ここでは諏訪湖とか三ヶ日ほどではないが水上スターマインが楽しめる。これも間近に観るには前の方の有料席でなければならないが、遠目にも風車の背後で次々に開く水上玉は迫力があった。1994年に観たときにも在った出し物だが、当時は事前に水面が見えるほどの前の方まで見物に行くことが出来た。その時水上スターマインの設置を見ているが、湖底に打ち込まれた杭の先端に花火玉が設置してある諏訪湖の方式とは違って、張り渡されたワイヤーに等間隔で花火玉が吊されている、というものだった。
 野村花火は鉄板であるものの、他が思っていた以上には良かったので満足だった。しかし隣県とはいえ、20年以上前から主に地元業者で固めている所にこの主催者はよく野村花火の玉を呼び込んだものだと感心した(野村花火工業から打ち上げスタッフは来ていない模様)。
帰りはどちらにしようか考えたが距離的に若干近い臼井駅をチョイス。しかし公式の案内に明記されているとおり、住宅街に入ると道が狭くなって人が動かなくなることもあって戻りは40分以上かかった。だいたい会場を出ると、どこにこんなに居たのかというほど歩道に人が溢れていた。有料のメイン会場の周りはほとんど水田。京成線脇の道路や田圃脇の道路からも見晴らしが良くどこからも花火が見えるので、そうした場所で見物していた客がよほど居たに違いない。ひるがえってメイン会場は私の区画の周りに椅子席やカップル席もあったが全て半分も埋まっていない状況。往路で、田圃の中の農道に唐突に露天商が建ち並んでいて、どうしてこんな所に?と思っていたが、メイン会場までの徒歩に疲れた一般客が「もうこの辺りで観ればいいや」、と考えるその辺りにちょうどお店があるという計算された出店。
 昨日の水戸に引き続き、この日も大分歩いて疲れ果てた。佐倉が地元だという知り合いに会場で話を聞いたが、京成佐倉と臼井駅の間に新駅を造る計画だけはあるらしい。それが出来れば、ふるさと広場と花火会場は徒歩5分の目の前なのになぁ。
 20時30分過ぎに終了、臼井駅で21時24分、勝田台で21時35分。帰宅は0時近く。

    
    

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