花火野郎の花火撮影行日記 Restructured
1992年8月22日
第66回 大曲全国花火競技大会
秋田県・大曲市
今年から贅沢に2泊での花火行。前日から大曲入りだ。しかし山形新幹線はどこが?というほどのただの「奥羽本線」。山形からの道程も前年通り。とにかくカーブと揺れがひどくて疲れる。5時間もかかって宿泊地の秋田駅に着くも乗っているだけでぐったりだった。しかも天候は雨。明日が心配。大曲から秋田まで70分ほどもかかる。
ホテルの部屋で地元の新聞を見てビックリ。今回は大がかりな国際コンペとのこと。いやーこれほどとは!とフィルムが足りるかどうか心配になる。
翌日は好天になった。暑い。汗だくになって会場には午後1時頃に着くが、早くも盛況でそのまま場所取りをして、待ちに入らなければならなくなった。昼花火までは5時間はある。ビラを配りながら土手の上を金谷橋方面へ。(注:当時は全国の花火開催日程表を時前で作り、自宅のコピー機で増やして花火会場で花火の写真を撮っているような方々に無量で配っていた)
そこでペンタックス67を2台構える写真家に話しかけて日程表を渡すと、「小野里さんですか?」と、びっくりするとその人が地元大曲では有名な写真家の後藤芳次氏だった。おりしも地元のスーパー「カネトク」では後藤氏の花火写真展が開かれていて。会場に来る前にそれを観たばかりだった。そこにもう一人現れたのはカネトク企画部の小西氏(現在取締役社長)だった。花火好きである3人が初めて巡り会ってしばし花火談義に暮れた。
夕刻になる前に一度雨が来て不安になった。再び晴れるも雲が多くなって今年の昼花火は撮影を中止した。
年々客脚が早くなり、その分より早くから場所を取らなければならない。
さて長大な夜の部が始まる。その内容は相変わらず充実していた。青木多門氏の二尺玉も素晴らしく良かった。
外国勢もなかなか良く演出されている。観た上ではやはり北日本花火興業が良かった。創造花火部門では優勝したそうだ。
後半の大会提供花火はこれまで観たのとはセッティングの場所が違って(国際コンペのためか)なんと真正面になっていた。それでレンズの選択が不味くて入りきらず、打上途中で35ミリから28ミリに替えるという愚をやってしまい、後半のエンディング近くの良い部分を撮り損なう。もっとも発煙が多くてあまり冴えた発色では無かったがミスはミス。
レギュラーの煙火業者に加えて外国勢の出品が加わり、過去にも(その後も)無いもの凄く出し物の多いプログラムになってしまったから(2日間に分けて開催せよとの意見もあったらしい)、後半になると押せ押せで時間がそうとう遅れてずれ込んできた。21時30分の終了予定時間どころではなくなった。最初は煙が晴れるまで待っていたりしたが後半はどんどん打ち上げなければ終わらない展開になりすごく残念だった。やはりプログラムが多すぎるのだろう。終了は22時頃に差し掛かっていた。観るにも撮るにもへとへとに疲れていた。
長くて疲れた。とにかく疲れた。途中でカメラがバッテリーダウンしたときにさすがに集中力がプッツリと切れたのがわかった。結局昼花火から終了まで5時間余。1990年から3回目の同じラーメン屋(現在は在りません)に寄って遅すぎる夕食を摂ってからホテルへ。
帰路は初めて盛岡まわり。多少よけいに金はかかるが早い。それに田沢湖線の方がはるかに奥羽本線より本数が多い。次回からもう奥羽本線は疲れるから止めよう。盛岡経由なら1時間も早く着くのだから。
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