花火野郎の花火撮影行日記 Restructured

1993年11月20日
善光寺えびす講煙火大会
     
長野県・長野市

 昨1992年の春ころにこの花火大会があることを知り、観覧を心待ちにしていたのだが天気が悪くて行くのを断念した。今年は長野泊の予定を組んで待望の初見学となる。
 10時50分頃の急行あさまで発つ。往路はずっと雨。長野に入っても小雨でどうなるか?13時20分着。
 ホテルのチェックインまで間があるので、機材をコインロッカーに移し先に会場の下見に行くことにした。この時駅構内で小さな店を出している小川の庄のおやきを買って昼がわりとした。住処の埼玉県の秩父方面にも同じ「おやき」という名前の食べ物があるが、長野のものとは形も中味もずいぶん違うと思った。(注:初めて食す長野のおやきは美味しくてファンになった。この後何度もえびす講に訪れることになるが、毎回おやきをお土産にしていた。その後長野駅は大改修工事が行われ、このおやきの小さな店は善光寺口に面した駅の建物の一部に入店した。小川の庄おやきの里は発展し郊外に囲炉裏を備えた大きな店を構えている)。
 運良くに日赤病院行きのバスが出るところで犀川沿いの日赤まではバス。堤防道路に上がるとそこから観る会場全体は豊田(おいでんまつり)を少し広くしたような印象か。やや引きが足らない感じだ。堤防の端に腰掛けておやきを食べながら全体を見渡す。そしてウロウロとロケハン。
 知り合いの愛好家A氏が車で堤防道路を通りかかり、寒風の中で話し込む。ダウンを着ていても足元が寒い。いったん別れて初めての場所なのでさらにロケハン。打ち揚場のある河川敷で再び同じ愛好家氏と落ち合ってまたまた寒風の中で花火談義。すると「あの人も来ているよ」と言われ、そのあの人こそそれから今日まで長いお付き合いをさせていただくことになる見巧者・奥村氏だった。それまで私の花火写真集がきっかけで連絡を取るようになり、手紙や電話での会話はあったものの、実際にお会いするのはこの時が初めてだった。
 煙火業者さんも交えて焚き火を囲みながら尽きない花火話を続けた。それから機材を取りに行くために駅まで20分ほど歩いて引き返す。
 ホテルにチェックイン後はバスで会場に向かう。17時を過ぎて陽はすっかり落ちた頃にまたパラパラと降ってきた。撮影場所は昼間にだいたい決めたところにした。青木煙火の現場までやや遠い500メートルを超えた斜めハスの間合い。日赤を過ぎて丹波島橋寄りのコーナーを過ぎた辺りだ。
(注:当時の花火セッティングは、花火に向かって左=東側が紅屋青木煙火店。右-西側が信州煙火工業で、全体の打上位置も現在より300メートルほど下流側である)
 堤防道路上は暗い。街路灯も無い。空には月がぼんやり見えるくらい。良い晩になってきたのに昼間から変わらずに風が強く、風は南西から北東と見かけは横流れたけれど、例年とは逆向きの風らしい。雨が間断なくパラパラ来る。集中力が出ないなぁ。
 18時30分、開始5分前に突然追悼の花火=尺玉が打ちあがってびっくりした。普通ならカメラを向けて撮れるだけの技量はあるつもりだが、なぜか身動き出来ず射出から開花し、消えるまでを大人しく見送っていた。
 どうやらラジオの実況があるらしく次回からは携帯ラジオは必携だね。
 すると進行はプログラム誌だけが頼り。だが前半で進行がわからなくなり、ちょっとぐちゃぐちゃに。初めてだからねー。後半持ち直して撮る。距離があるからちょっと露出が暗いかな。
 紅屋青木煙火店の花火を一同に大量に観るのは初めての事だった。玉は尺にしろ7号にしろスターマインにしても、何かが根本的に違っている異次元の凄み。発色、形、構成の全てが素晴らしい。八重芯はもちろん三重芯も登場し尺の内容は素晴らしい。スターマインでも覆輪モノを多数打ちびっくり。芯月の尺を撮り逃して悔しい。元祖椰子のスターマインもあり満足だった。
 途中の尺玉コンクールもどの出品作も良くて感嘆した。全体の印象としては少し間延びしていたがそれほど感じなかった。良い内容だった。良くも悪くも昔ながらの田舎の花火大会だと思う。それだけに早いテンポではないけれど、7号〜尺の単発玉をじっくりと鑑賞できることが嬉しい。帰路は見巧者・奥村氏と駅までタクシーで同道。宿泊ホテルの喫茶店で共に今日の品評会をした。
 撮影はブローニーでトータル6本、160カットくらいになった。現像してみるとやはり風に流され気味だったが、色は良い。間合いは遠かったが、尺までの距離が良く、昇りが盆と重なることなく完全に観られたのが良かった。スターマインはもっと寄せて撮らないと。来年に期対しよう。
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