小野里公成の最先端花火撮影テクニック
探求編(研究編)

レベルに合わせて選んでください。このページは探求編です。
初級編=ビギナークラスへ移る。これから花火撮影を始めたい方に。


 すでに花火撮影を楽しまれている中級以上の方を対象に、より作品をレベルアップするにはどうしたらいいか?について高度に(ホンマカイナ)探ってみました。私の花火撮影の講演などでも内容がどうしてもビギナー寄りになりがちなため「もっと高度(超必殺技的な?)な話が聴けると思った」「知っているような内容ばかりだった」などベテランの撮り手からのご不満の声も聞かれます。バランスが難しいところです。ですから探求編では「もっと」を望む方に向けて書いてみました。解説というよりはいわば花火撮影Tips集といったところでしょうか。思いつくままに書いたヒント集的なものです。上級レベルはとかく精神論になりやすいものですが(つまり根性で撮る、とかの?)本編も独断と偏見(?)があふれています。それでもこれらは小野里公成自身が今現在の花火撮影の経験の中からリアルタイムに反映させたノウハウで、カメラ専門誌などの季節企画では得られない実際的な内容と自負しています。
 こちらは中、上級、達人クラスですので、本文中の写真用語の二次的解説、花火用語の説明はしておりません。
 皆さんの撮影行が天候に恵まれ、良い作品をゲットできることを願ってやみません。
 
禁・無断転載・複製・流用・参照など
2012 Ver 7.0 Copyright by 小野里公成

探求編目次
  
●はじめに
●これまで花火の写真と思いこまれていたものは?
●花火の知識と鑑賞眼
●花火ごとの撮影ポイント
・夜物−割物花火
・スターマイン
・張り物仕掛け
・水中花火・水上花火
・二尺玉〜四尺玉などの大玉
●「耳」は大切なアンテナ
●夜景と花火をバランスさせるには
●花火の色ごとの露光量=絞りの変化
●撮影に適したディスタンスをとる
●花火撮影のためのレンズ構成
●規模が予測できない場合は広角めで撮る。
●花火撮影は「受け身」ではない。
●花火の知識と「鑑賞眼」がなにより大切
●風の流れや気象の変化をつかみ味方にする
●カメラ首振りのナンセンス
●2眼レフはベストか?肉眼で見ながら撮る
●ロケハンのポイント
●データの記録
●作品への昇華
●おしまいに
花火撮影を扱っている写真家・カメラマン、フリーネットワーク
こちらでは全国の、花火を(継続的に)撮影しているカメラマン・写真家を、フリーなネットワーク、PR、仕事開拓の場として提供・ご紹介します。プロ、アマは問いません。自己申告掲載コーナーあり。

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はじめに
   
 より良い(花火)写真を求める理由は何なのでしょうか?
 現在の作品に満足できないものがあるためでしょうか?
 自分の(花火)写真をもっと高めるには?
 自分の「撮り」をより良くしたいと考えているあなたには、既に撮影技術的には、自分なりに試行錯誤した上での確かなものが備わっているはずです。
 そこからほんの一歩先が、中〜上級への思ったより高いステップなのです。どうして高いかと言えば、ここから先は、「良い作品」を作り上げていくために必要な要素が撮影技術や経験、ノウハウといったものだけはないからです。
 入門〜初級のうちは誰にでも共通にアドバイスできる撮影技術やノウハウが数多くあります。しかしそこから上へのステップを踏むには、より個々人の専用のノウハウやテクニックを自ら見いだして確立していかなければなりません。ある程度花火を撮りこなせるようになってきた方々への私がお手伝いできることはそれほど多くはありません。
 中〜上級への最初のステップ、そこに足をかけるかどうかの資格=鍵は、まず自分自身が、自分の「花火」撮りの目指す方向(テーマや個性)を見つけだすことにあります。ここであらためて自分の望む花火映像、写真というものを問い直す機会となると思います。ここから先に重要なのはカメラを中心とした単なる「撮影技法」以外のメンタルな何かです。
 では今一度明確にしてみましょう。ある程度自在に花火をフイルムに定着できるようになってきた皆さんには、もう自分なりのこだわりや、撮りたい写真、魅せたい表現が生まれているはずです。また撮影中生じた疑問や問題点も、多く解決してきたことでしょう。その上で、

・自分がこんな写真を撮りたいと願う、理想の映像。
・花火の何を、どこをどんな方法で表現したい(撮りたい)と思っているのか?
・写真を撮りたいと思う感動は花火のどこにあるのか?


に基づき、その理念を明確にしなくてはなりません。
 自分の写真の全体的な方向性や、毎回の花火大会ごとの出来上がりをイメージすることが、自分の写真の完成度を高めていく上での重要なプロセスといえます。
 自分の写真のイメージや方向性、理念については、初めからはっきりしている場合もありますが、多くは漠然としたものであると思います。しかし花火を写真にしようとしたからには、花火に感動するなにかしらの動機があったはずです。ひとつのテーマを撮り続けながらそれを育てる、または漠然とした感動の要因を次第に明確な写真映像にしてゆくプロセスは貴いものです。
 最初はより身近で分かりやすい課題からひとつひとつ解決していくと良いでしょう。たとえば、「迫力を出したい」「スターマインの露出オーバーに注意する」「新しいアングルから狙ってみる」というように。
 これら様々な「撮り」のイメージを出来上がり写真の理想の形で想い描いておきます。そして実際の撮影結果が最初のイメージに近付いていくように工夫を重ねるのです。こうした作業の積み重ねの中で必ずさらに自分の目指す写真世界が明確になってゆくだろうと思います。皆さんの理念が写真に反映され、想い描いた写真を手にすることができてきた時、カメラ操作や露出の数値的なデータ以外の大切な何かが、人を感動させるインパクトとして色々と明確になってくるし、自分自身の写真を確立するファーストステップになるに違いありません。
 そのためにもぜひ、常に「こういう風に撮りたい」という気持ちを持って撮影したいものです。ただ「写ってしまった」だけの写真であってはなりません。自分の希望する写真について考え続ける時、必要な技術はその過程で自ずと見出だされていくと思います。
 「花火は現像が出来てくるまでどういう風に写っているかわからないから面白い」「偶然性があるから面白い」………花火を狙う多くのアマチュアや雑誌に撮影法の原稿を書くような撮り手がしばしば口にする言葉です。しかしこのような偶然のみに頼る発想では望む写真は得られません。
 確かに「偶然」が「思いがけない」より良い結果をもたらしてくれることはあります。しかしそれは毎度のことではないですし、常に偶然を引き当てる確率をあげるには、膨大に撮らなければならないでしょう。出来てみるまでわからない、などというのは「では何を撮ろうとしていたのか?」という意味でもはや論外です。
 
これまで花火の写真と思いこまれていたものは?
    
 最近の、「花火の写った写真」は次の二つに分かれています。
 つまり「正統派」と「アート・前衛(あるいは自由)派」です。この分類と呼び方は私独自のものです。
「正統派」は従来どうりの方法による花火撮影です。従来どおり、とはバルブ露光による、三脚を使用した撮影方法です。次の「前衛派」からみると「古典派」ともいえましょう。これに対し「前衛派」はアート系、クリエイティブ路線ともいいますが、従来の撮影方法ににこだわらない映像をめざしたものです。
 両者の違いは顕著で、「正統派」は「花火を観たように撮る」ということを目的としています。自由派にとっては花火はあくまで自己の写真芸術のための写真素材であり、はじめから花火らしく撮るということは問題ではありません。写真としての出来上がりは個々のイマジネーションの中にあるといえます。
「前衛(あるいは自由)派」の特長はまず三脚にこだわらないこと(まったく使用しないという意味ではない)、フリーハンドやカメラを動かしながらの撮影や、露光間の焦点移動などの撮影方法を用います。撮影手法は作者のイマジネーションによって様々で、特定の手法が決まっているわけではありません。最近ではデジタル合成の素材としての使い方もあるでしょう。
 正統派の写真は撮影方法のバリエーションは少ないですが、できあがった写真の内容によって実際はこの中でいくつにもわかれています。まず「花火写真」とそれ以外の「花火の写っている写真」です。この二つの違いはたとえば山を被写体にしても、「山岳写真」と「画面内に山が写っている風景写真」の違いのようなものです。この両者の具体的な違いがおわかりになるでしょうか?それは山に登るための知識と技術、体力がなければ撮れない写真と、それらが無くても麓で写せる写真の違いです。
「花火写真」は私が初めて提唱するもので、花火鑑賞と記録性を合わせ持った花火の写真です。花火それ自体に迫り、また、作者(花火作家)がわかるように撮るということも目的です。
「花火の写っている写真」はこれまでの花火の写真と認識されていたものの全てです。つまり「画面内に花火の写っている」風景写真、歳時記写真、観光写真、報道写真、イメージ写真、記念写真などです。
 両者の違いは、後者が「花火のことを知らなくても撮れる」「花火が好きかどうかは関係ない」「風物詩、季語としての写真が撮れればそれでいい」と考えているところです。
 他のジャンルの写真では、その道の専科なら、プロでもアマチュアでも言えることですが、被写体である対象について「興味がない」とか「何も知らない」などということはほとんどあり得ないことなわけです。
 自分が継続的に追いかけている、あるいはカメラを向ける題材についてある程度詳しい、または深い造詣がある、いわゆる専門知識が豊富であってこそ初めて優れた写真が撮れると思うわけです。たとえば花や園芸をテーマとするカメラマンが花や植物の名前を何も知らないとか、鉄道写真を趣味にするアマチュアが列車の形式も名称もわからず、まして時刻表すら使えないなどということは考えられません。
 ところが花火の写真では長いことその「考えられないこと」が普通の状態だったわけです。カメラ誌に「○○○の撮り方」の原稿を書く方も経験上こうだった、という撮影技術だけで、花火を観る目も花火についての正しい見識も何もありません。こうした方たちが、これまでどれほど被写体の花火について、聞きかじりのいいかげんなことを書いてきたことでしょう。作例写真についても自分の庭(近所の決まった花火大会)で撮ったようなものばかり。こうした雑誌では方法論や技術論の方が、読者受けがいいですから、被写体についてはほとんど触れず、こうした道具で撮った、こういう特殊テクニックを使った、というカメラや機材まわりの技術の話ばかりになっています。ですから読者もまったくレベルを上げることができません。
 より上達するには、よりよい作品や指導者に出会うことが近道であるし必須だと思います。レベルを上げることができないのは、花火の知識がない書き手のせいだけでなく、そのような書き手によって撮られた花火の写っている作例写真もまた同時に「まったく感動しない写真」だからです。現在ではインターネットを介して多くのアマチュアやプロの良い花火写真に接することができます。積極的に多くの他の人の作品に接して自分の撮ったものがどの程度のレベルにあるのかきちんと見極めることも大切です。人の写真の良し悪しがわからない者は、自分の写真の良し悪しもわからないのです。こうしたネットの世界でお手本になるような写真に巡り会うこともあるでしょう。そのような目標となるような写真作品に出会わなければさらなるレベルアップの可能性は低いと思います。残念ながら出版の世界では筆者がカメラ雑誌を見始めてからここ最低30年間の間は「まともな書き手による感動するような花火の写真はほとんど皆無だった」といえます。ですから皆さんの多くは良い花火の写真を誌上で見る機会はこれまで完全に無かったといっても良いでしょう。こうしておもに出版や広告の世界で永いこと花火の写真が陳腐な夜景写真の一部にしか認識されなかったのは、撮影技術と経験、被写体の鑑賞眼、被写体への理解と見識、これらを兼ね備えた花火の撮り手・書き手が居なかっただけのことです。
 私は他の「専科」の写真家と同様に、当然のようにこれらを身につけているだけのことで、それは特殊なことだとは思いません。どの写真家もよりよい作品作りのために知識を深め、より新しい情報を収集するように、花火に関して私も当たり前のようにそうした努力をしているだけです。私は私が世に出す花火の写真が、皆さんにとって花火写真レベル向上の道しるべとなる、質の高い作品であることに自信を持っています。現在、最先端で花火撮影を楽しむ方の多くは、花火が好きで花火の造詣も深い知識とテクニックを兼ね備えた愛好家ばかりで、生み出す作品のレベルも高くなってます。私はこのことをたいへん嬉しく思っています。
     
花火の知識と鑑賞眼、花火への思い
    
 2010年までの約20年の間に、全国で花火の写真を撮る方は、プロ、アマを問わず飛躍的に増えました。それは単に写真人口の増加と比例することなのかも知れませんが、多くなったことは確かです。花火観覧を愛好し各地の大会を観覧する人が増えたということも要因のひとつでしょう。
 といっても2ヶ月前には紫陽花を2ヶ月後には紅葉を撮っているようなアマチュアの写真愛好家のように、夏だから花火でも狙う、という程度の趣味の撮影をする場合は、まんべんなくどんな被写体でもこなすテクニックが重要で、花火の写真だけでグレードアップに努力する、ということにはとくに興味がないでしょう。
 プロであっても、どこかから依頼されて撮影するというのではなく、近年は花火には何の興味も関心も無いが、花火の写真を撮って情報誌やエージェンシーに売って稼ぎにする、という動機と目的で自主的に花火大会を追いかける「花火写真屋(や)」が増えています。こうした方々とは、花火愛好家である我々は花火に関する会話が成り立ちません。なぜなら彼等にとって興味があるのは、花火の写真がカネになるかどうか?その写真をいつどこに売り込めばいくらになるか?誰がどこへ売っていくら貰ったか、という銭勘定のことですから、カネに結びつかない話には興味ないのでしょう。こうした花火写真屋たちは、被写体の知識や関心が無くても、経験だけで写真が撮れるだけの技量がありますが、我々花火愛好家から見れば、それは感動も何もない花火の写真です。本人達が特に感動して花火を撮っているわけでもないのですからそれを彼等の写真に求めるのは無理でしよう。
 ところが花火の写っている写真を求める側(フォトエージェンシーや雑誌、情報誌の編集部)も、花火のことなど何も知らないし、興味もない、という人がほとんどですから、写真に基本的な失敗が無く(手ブレや露出の過少とか、はみ出しのないフレーミングとか)花火らしきものが夏らしく写っていれば、季節物写真、歳時記風写真としてそれで十分商売になるのでしょう。
 こうした花火写真屋には、たいてい「良い作品を世に送る」「良い花火写真を後世に残す」などというポリシーは皆無ですから感動もなにもない従来通りの低品質の花火の写真を大量供給しているだけです。だいたい自分の写真に写っている花火やその写りの良し悪しについて、判断できる目も知識もありませんからそれは仕方ないことです。その年、その場限り商売にさえなればよいので、とくに中・上級をめざすとか、どう写っているか?ということには執着は無いのでしょう。もちろんこうした方々の撮った花火の写っている写真が、アマチュア写真愛好家の好適な手本になるようなことはありえません。
 しかしながらプロ、アマチュアを問わず、花火に何か感動したり、花火そのものへの好奇心から花火を「テーマ」にすえて継続的に追いかけ、その中で写真のレベルを上げていくためには、前章で述べたように被写体に関する知識や見識が不可欠です。中・上級を探求するのであれば理念や理想に加えていっそうの「花火への造詣と理解」「鑑賞眼」「情報力」「経験値」が求められます。
 花火の写真は誰にでも楽しめますが、自身の場数(花火撮影の経験回数)と聞きかじりの花火の知識だけで、良い写真が撮れるほど底が浅くは無いといえますし、場数と写真的なあしらい(前景などに夏らしい何かを配置する)で構築された写真は、四半世紀も昔に撮られた花火大会の写真となんら変わることのない、古い写真だといえます。写真的にも古いですし、なにしろ被写体である花火に対する考え方や情報が新しくないのです。
 構図ひとつとっても、場数だけでなく花火そのものの知識や自身の目標とする写真の姿が活かされていなければ、クォリティがあがりません。なぜその構図では適切でないか?良くするにはどうすれば良いか?このどちらの問い自体も理解できないし、解決し作品を向上させることも不可能でしょう。
 そして何よりも重要な点は、花火へのひたむきな思いや真に熱中する気持ちがあるかどうかなのです。撮影者自身が感動もしない、興味もない、で撮った花火の写真がどうして第三者を感動させる作品になることが出来るでしょうか?
 これらの点について既に自身に充分な要素が満たされているかを考えてみて下さい。最後に必要なのが、狙ったときに必ず作品をモノにするための、確かで安定した花火の知識と撮影技術、場数といえるでしょう。それでも花火写真に於いては技術面のウェートはごくわずかにすぎません。その他の天候や風向きなどの環境要素方がはるかに重大なパーセンテージを占めています。しかしこれら重大な条件全てに恵まれた場合、何パーセントかしかない技術面の差ははかりしれません。
  
花火ごとの撮影ポイント
   
夜物−割物花火


レリーズのタイミングと個人差
  

 各種の割物の撮影にはバルブ露光が一般的です。球形に美しく撮るためには、花火が開く前からシャッターを開けていることが肝心です。肉眼で開いたのを見てからではまったく遅く、この場合、写真には爆発の中心すなわち花の芯が写らず、ドーナツ状の花になってしまいます。そのためにも、何号の花火が、どの辺りで開くのかをよく把握していなければなりません。さらに「昇り」の部分も写す場合には、地上部分もフレーミングしているのなら筒から射出される直前、または直後から露光を始めるのが基本となります。その上で玉だけを撮影するなどのヴァリエーションへと移行させると、フレームアウトや露光のタイミングのズレなどの失敗がないだろう思います。
 いつシャッターを開き、いつ閉じるか?は個性の出るところです。個性というより花火の解釈や狙いの違いといえるでしょう。とくに割物一発を写す時は特に明確に現れます。シャッターを開く時は、開花より遅れることはありえませんから、たとえば昇りを撮る、撮らないなどの差があります。切り上げるタイミングにしても星が全て消える時までか、一番スピード感を感じられる瞬間か、などの選択ができます。
 それによって星の色彩の変化を見せたいのか?迫力やスピード感を見せたいのか?などの狙いが個性となって第三者に明確に伝わることになります。 
 
割物の追い写し(追跡法)について
  
 これは初級編で紹介した「花火野郎スペシャル(でもないか?)」です。尺玉など細工の見事な玉を画面一杯に欠けること無く、しかも中央にとらえるのが目的です。私は割物は殆どこの方法で撮影します。固定撮影で尺玉を待ち受けるのとどう違うかを比べてみましょう。
 実際の打ち上げでは、たとえ同じ場所の同じ筒から打ち上げても開花位置は多少のブレがあると考えて下さい。また煙火業者によっても開花位置は一定ではありません。尺玉を画面一杯にとらえているようなフレーミングでは、もしある割物の開花を見て位置合わせをして固定していた場合、フレームから外れてしまう=花火の一部が予想に反して欠けてしまう、という恐れがあります。
 そこで打ち上がった時点で左右に多少フレーミングの修正をすることになりますが、空の開花予想位置にレンズを向けている場合はフレーム内にふいに上昇中の玉が入ってきてからでは対応が遅れ、修正できません。もし大きく外れている場合、ファインダー内で途中から上昇中の玉を探しさらに写すことは困難です。こうした場合従来は固定撮影で多少開花位置がずれてもファインダー内に収まる程度の広角レンズで撮って、あとで玉だけをトリミングしたものです。
 そこで私の場合、必然的に射出された時点から、その玉を追跡し確実な開花予想地点でフレームを固定させる方法になったものです。こうして撮影した割物は
「ギャラリー常設展示室2・尺玉名品選」等でご覧になれます。
 花火の発射音を聞いたらすかさずファインダーを覗きながらカメラを動かし、画面中央で上昇していく玉を追いかけます。三脚の上下左右のストッパーはあらかじめ緩めておきます。玉が開く直前で三脚の雲台を素早く固定しシャッターを開きます。
 この方法では同時に「画面内の好きな場所に開花位置を引き込む」ことが可能になります。
 こうした1カットに、一発の割物花火を捉え、その玉名をタイトルとして付けるという撮り方、見せ方、なにより花火に対する考え方は気が付けばオリジナルな方法で、これまで誰もやっていないことでした。割物花火を撮りながら、「夏の華」とか「夜空の花」「夏の夜」などという陳腐なタイトルを付けた作品が、いわゆる花火を写した写真というものでした。私の「こういう写真を観たい」「割物が割物として一発綺麗に写っている写真が観たい」という希望通りに、自身で試行錯誤して撮っているうちに、自然とこうした撮り方、見せ方になったものです。現在では、撮り方はともかく一発ずつの割物を捉えて見せる方法は、私が花火写真を世に出してからはポピュラーなスタイルとなったようです。
 花火を撮って、雑誌などに売り込む花火写真屋達も、それまで花火の写真と言えば夜景などと一緒に観光写真や歳時記写真として撮っていたものですが、私の写真を見て、「こういう撮り方も売れる写真になる」と見越して真似する方が増えたようです。
注・この方法は、中判、大判で本体とレンズを合わせた重量が相当あるカメラ(ペンタックス67、RB67、RZ67、67以上のフィールドビューなど)には大型三脚を使っても、カメラブレの問題から適しません。また玉に曲が付いていない場合は、追跡は慣れていないとかなり難しくなります。  
スターマイン
 

 単位時間内の玉数が多いスターマインでは、まず露出オーバーに注意したいものです。あっというまに画面内の同じような位置に大量の花火が重なってしまい、その部分だけオーバーになり、調子がトンでしまうからです。1セットのスターマインが全て終了するまで、延々とひとつのコマに露光しているような人はいないと思いますが、1カットにおいて、玉の画面全体への散り具合に気を配りながら適正なタイミングでそのカットの露光を切り上げなければ(終了させなければ)なりません。ではその見極めの判断は単に何分の1秒などという月並みな露光時間や経過時間だけでしょうか?
  
スターマインはリズムにのって簡潔に撮る
  

 結論を先にいえば、一般的にこれら連発花火を単独で撮影するときの最大のコツは、「別々の種類や流れの玉どうしを必要以上にまぜこぜにしない」ことにあります。とくにストーリー性、テーマ性のあるスターマインはなおのこと、花火で何を表現しようとしているのかを素早く理解することが大切になってきます。上がってから一定の露光時間が過ぎたらフイルムを送り、次も決まった露光時間が過ぎたらまた送りといったような、機械的な漫然とした撮影作業では、花火師が描こうとしているテーマを写しとることもできません。狙いもはっきり伝わらず、第一絵柄が意味なくごちゃごちゃになってしまいます。露光秒数のみでカット割りしようとするなら永遠にスターマインを上手に撮ることはできないでしょう。確かに花火の写真には、迫力とか臨場感とかボリューム感を盛り込むことは大切ですが、それらを感じさせながらも基本としてやはり簡潔で綺麗で美しい写真に仕上がっていたいものです。
 私の場合は、スターマインの撮影は露光時間などは殆ど考えず、「カン」が全てです。しかしそれは「ヤマカン」ではありません。次々に打ち出される花火と打ち出すタイミングに全神経を集中させてのことです。ですからスターマインは何秒で撮るのか?という質問は一番困るし、私の中では愚問です。
 経験をつめば次を打ち出すタイミングが先読みできるようになります。スターマインには「花火に合わせた」カット割りと、露光開始、露光終了、巻き上げのリズムが必要になってきますし、臨機応変の柔軟さも求められます。

張り物仕掛け
 

 「ナイアガラ」は仕掛け花火の中では最もポピュラーなもので、どの花火大会でも非常に人気の高いプログラムといえます。構図的には単独で撮るほか、他の打ち上げ花火と組み合わせるなど様々で、各自の裁量に任せたいですが、最初はナイアガラのみを狙ったほうが美しく迫力のある写真になるでしょう。単独でといっても打ち上げものと同様に、なにか脇役や前景を配して画面を充実させることを忘れてはなりません。
 仕掛け単体の場合の使用レンズは、ナイアガラをある程度切り取るくらいの焦点距離がよく、撮影距離にもよりますが、70〜80ミリ以上の横位置が適しているでしょう。露光の目安はISO100ならF22で1〜2秒です。これでナイアガラ仕掛けは非常に明るいものであることがおわかりになるでしょう。滝までの距離が近い場合はもっと切り詰める必要があります。
 シャッター速度の変化は滝の写り、形態の差になって表れます。よく渓流などの撮影のとき、水の優美な流れを表現する時にはスローシャッター、流れを止めてダイナミックに撮るときには高速シャッターと使い分けますが花火の滝の場合も似たような結果となります。具体的には、実際に肉眼で見たように撮るには高速シャッター(バルブに対してのという意味、通常は1/60以下だろう)が適しています。逆に花火の火花の光跡を、流れたように「線」として写す時には1〜3秒のバルブ撮影が良いでしょう。どちらの方法で撮った結果が良いか?ということはありません。各人の表現の好みといえるでしょう。

水中花火・水上花火
 

 ほぼ半円形に開く水中物は、基本的には横位置狙いのほうが安定感がありおさまりが良くなります。また前景に観覧客などを入れてのやや寄せての縦位置狙いも壁のようにそそり立つ水中花火の迫力ある描写が期待できます。つまり広がりと量感をとるか奥行きと高度感をとるかという、横位置、縦位置選びの初歩的要素で、最終的には各自の判断になるでしょう。 
 水中物では特に、爆裂位置が移動していくので、三脚のパンニングで追跡します。この時三脚の水平出しを完全にやっておくことが重要です。または水中花火が展開する水面方向でカメラを振ってみて、その範囲内だけでもファインダー内で水平線が変化しないように調節します。
 これとは逆に移動して来る花火を待ち受けるというのも考えられます。固定フレーミングでその中に水中花火が来て通過するのを撮影するというわけです。当然多重露光になります。つまり画面内に現れてから通過するまでただ開けっ放しでは長すぎるのです。遮蔽紙などでカット割りしていく必要があります。
 水上で行われることから水面への反映も美しく、この点も重要な作画(画面構成)要素になります。画面への水面の入れ具合(つまり水平線をどこに置くか)にバランス間隔が問われるでしょう。水面に対する視点の高さでも映り込み具合は変化します。

二尺玉〜四尺玉などの大玉
 

 多くの三尺玉などの大玉では、比較的それを狙う撮影者にとって失敗のない被写体といえます。つまりは「よーいドン!」で皆が一斉にシャッターを開ければ、ほぼ全員が間違いなく写せる、もっとも簡単な対象なのです。皆が一斉に注目していて、上がるタイミングが分かりやすいからです。一発の大玉が画面に写っている写真は、スターマインを簡潔に撮った写真よりずっとレベルが易しい写真といえます。
 しかしながら、もし花火大会でこれら大玉を撮るのが初めてであるなら、最大の注意点は予めロケハン時に「その大玉の打ち上がる場所はどこか?」についてできるだけ情報を集めるか、もしくは肉眼で打ち上げ筒のある位置を確認しておくことです。といっても筒のある位置を確認できるのは二尺玉まで。それ以上の大玉では一般の人間が筒場に近付くことはできないし、肉眼で見えるような距離や場所には打ち上げ筒はありません。したがって三尺以上の大玉では、主催者、大会本部席、地元観覧客、地元カメラマンなどに打ち上がる位置や、方向、打ち上がる高さ、見かけの盆の大きさなどについて尋ね、詳しく情報を集めて確認しておくことが大切になってきます。それによって自分が撮ろうとしている場所から、どれくらいの画角のレンズが相応しいかの大体の判断が可能になります。情報が成否を決める、テクニックだけでは撮れない典型といえましょう。
 ぶっつけで撮ることになっても、これらの大玉は上昇して開花するまである程度余裕があるものです。予想に反した方向から「上がった!」と思っても落ち着いてカメラを向け直すくらいの対処は可能です。
  
「耳」は大切なアンテナ
  
 花火大会には花火に関して様々な音があります。上空での爆裂音はもちろん、導火線に火がまわる時の音。筒から射出される時の音。上昇していく時の音などです。この中で単発割物の撮影に欠かせないのが「筒から射出される時の音」です。発射筒に装填される発射薬の量とそれによって生じる発射時のガスの発生量は、玉の大きさ=号数によって違うので、玉の号数によって射出される時の音が変わるのです。何度も観覧していれば次第に、この射出音の違いで玉の大きさがわかるようになります。そして号数による射出されてから開花までの時間差、つまり開花のタイミングや、開花位置と高度の大体の予測もつきます。このことがどう撮影にプラスになるかはいうまでもありません。どの辺りで、何号玉が開く。と予め予測ができれば余裕を持ったレリーズができるというもので、これもまた次を知った上での攻めの撮影術の一つであるといえるわけです。
  
夜景と花火をバランスさせるには
 
 夜景も花火も適正露光、というのも欲張った話なのですが、双方のバランスがとれていることは重要でしょう。もし花火に対して夜景などを「夜景だけを単独で撮ったように」十分に抽出したいなら、花火露光中のそれだけでは不足することが多いでしょう。足りないなら足せばよいわけです。夜景はそもそも「適正」露光というのが難しい物です。なにが適正かはすなわち撮影者自身の判断にまかされるからです。撮ったときにこれぐらいに見えていた、という現像時の判断によって適正カットが選択される場合が殆どでしょう。この適正もまた人によって感じ方も異なるでしょう。花火と同時に写される地上の夜景なども予めこうした個人の適正値による過不足の判断にしたがいます。ですから夜景だけを単独で撮った経験がある方が調節しやすいことになります。
 では何時、足りないなら足せばよいのかは「そのカットの前後いずれか」しかありません。つまり「前露光」か「後露光」です。花火が上がっていないときに前もって不足分を足しておくか、そのカットを撮り終わった後に「もう少し」露光するか、です。この時の操作は遮蔽紙を使って一連の露光内でやるか、多重露光機能を使うかのいずれかしかないでしょう。「どれくらい?」かはトータルして夜景が「適正に」なるくらい、としかここでは言いようがありません。あとはカットアンドトライでしょう。
  
花火の色ごとの露光量=絞りの変化
    
 自分の望む花火写真を得るためには、1カット1カットをボンヤリ撮らないで、「そのとき自分の目に映った花火の色あいがどんな調子だったか」をはっきり記憶しながら撮り、出来上がった写真で確認することが重要になります。最初は、どんなに肉眼で見て「凄い、美しい」と感動しても、写真に撮ってみるとたいしたことがなかったり、あるいは逆に思いがけず美しい写真になることもあるでしょう。このことは単に経験以上に、肉眼とフイルムとの光や色の感じ方の本質的な違いでもあります。この違いを踏まえた上で自分の望む光や色あいに近付けるためには、こうした照合の作業を丹念に繰り返し、自分なりの撮影データ(露出やレリーズの開閉のタイミングなど)を少しずつ修正しながら確立していってください。
   
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