現代の名工 小幡清英氏 逝く
   
四重芯を込める在りし日の小幡清英氏(2001年写)
      
     
 現代の名工として、花火作家としてひとつの極みに立った有限会社菊屋小幡花火店四代目当主・小幡清英氏が急逝されたのは、クリスマスの喧噪が過ぎ、2008年の暮れも押し迫った頃でした。
 告別式の案内には、享年63歳。12月27日永眠と記されています。既にご家族、ご親族によるご葬儀が執り行われており、私どもの参列した告別式は広く業界関係者、近隣の方方へのあらためてのお別れのお式。斎場は高崎市や榛名の町を遙かに見下ろす高台にあり、晴天のもと静かな佇まいでした。式場内は全国各地の煙火業者からの献花に溢れ実に立派で荘厳な雰囲気でした。
      
 小幡清英氏の生み出す花火については、今更語るまでもありません。その輝きを知る多くの花火愛好者は自らの心に、そしてそれぞれの手元にあるてあろう映像資産の中に、今あらためてその開花を思い起こすことでしょう。
 小幡氏は、多くの優れた花火作家の中でもとりわけ身近な存在だったと感じていた愛好家諸氏も多かったと思います。それは氏が、実に気さくに私ども愛好家に接してくれたせいで、時に私どもの輪の中に入り花火談義に応じてくださいました。威勢を張るもなく、尊大でもなく、謙虚でかつ気さくなお人柄と共に熱い花火への思いや、職人としての凛とした厳しさを垣間見た愛好家も多く居た事でしょう。
 まことに残念ながら、もう小幡清英氏自身が手がける花火玉を見ることは出来なくなりました。しかしながらその技と精神や哲学は、必ず受け継がれて生きているのだと信じ、今後の菊屋小幡花火店に期待するほかありません。
 花火作家としてまだいくらでも素敵に花を咲かせ、あらたな境地を極める事が出来たのだと思います。その高みからはさらなる高峰が見えていたことでしょう。
 惜しいです。ただ惜しく、残念でまた淋しくてなりません。
 私自身は、土浦の競技会の打上現場でお会いしたのが最期となりましたが、関東近隣の花火ファンにとっては、その打上会場に小幡氏自身が居る、というイベントは2008年12月20日のツインリンクもてぎ・クリスマス花火が最期になったことになります。この時、小幡氏と言葉を交わしている花火ファンも多く、いっそうに残念な思いだと察します。既に悲報に接していた私には、新春の茂木ではもうここに小幡氏は居ないのだと、広い場内を見回して、寂寥感さえ感じたのは季節のせいばかりではないようです。
 「四重芯の小幡」と呼ぶことを私は相応しいと考えます。1994年頃より取り組んだ四重芯造りは、同年に他界された亡き師匠青木多聞氏への恩返しのためと後に小幡氏は語っています。競技会等には翌1995年度より四重芯の出品を始めています。最初に意識して四重芯を観ていこうと思ったのは1998年の群馬県玉村町の花火大会で、この頃から小幡氏が私ども愛好家にも積極的に感想を求められていたことにもよります。三重芯までなら確実に決まる小幡氏の技量を持ってしても、芯をたった一層増して決める、それだけのことがいかに難しかったか?私はそこから永らく四重芯のウォッチャーとなったのでした。
 2007年度、2008年度に於いて、小幡氏の四重芯はひとつの完成型に達したと私は見ます(写真・2008年玉村町花火大会の四重芯変化菊)。もちろん花火造りに終点も完成もないのだとすれば、それが最終の姿でないのは確かで「これでいい、ということはない」と語っていた小幡氏のことですから四重芯の探求と製作はこれから先も続いたことでしょう。しかしこの両年度に打ち上げられた四重芯は永年の試行錯誤の結果、ようやく辿り着いた小幡氏が理想に描く四重芯の姿に近い物だと私は見ます。そこから起算すれば私は、小幡氏が挑戦され始め、完成型に辿りつくまでの10数年に及ぶ四重芯造りの変遷を機会ある毎に見せていただいてきたわけで、それはいち花火ファンとしてかけがえのない体験だったと思います。なかでも2001年に仲間の愛好家ともども菊屋小幡花火店工場に招かれ、四重芯製作工程の一部を直に拝見させていただいたことはなによりの思い出となりました。
 パイオニアたる者はどの分野でも孤独なものです。小幡氏の孤高の四重芯づくりの後、多くの花火作家がそれを手がけるようになったのも、花火職人として目標とし、共鳴した結果だと思います。もちろん小幡氏の業績は四重芯に留まりませんが、それをものにしていくプロセスは、間接的に業界の作家全体の割物造りの技量をステップアップさせたことになり、氏はそういう形で現代の花火界に貢献されたのだと考えます。
 告別式当日、弔辞を読み上げた中の一人は、紅屋青木煙火店当主の青木昭夫氏でした。青木氏と小幡氏は青木氏のお父様多聞氏が小幡氏の師匠だった事から、永年にわたり兄弟の如く、親友として、また花火店経営者同士としてとりわけ親交の深い間柄だったと推察されます。その青木氏が何度も声を詰まらせながら読み上げる言葉のひとつひとつは慟哭にも似て、深い無念と哀しみが伝わり胸に迫るものでした。
 咲いて消える花火の如く人はその生涯を往きすぎるものとはいえ、小幡氏がその生涯で生み出した名花の数々は見る私どもの心を深く感動させて来ました。私は小幡氏と同じ時代に生き、語らい、そしてその手から生み出される渾身の花火の数々を実際に目の当たりにし、体験できたことを嬉しく、幸せだったと振り返ります。その素晴らしい作品ひとつひとつに心よりあらためて拍手を送って讃えたいと思います。
 ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げると共に、これまで数々の素晴らしい花火を見せていただいたことに深く感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。そしてさようなら。  合掌 
  
小野里公成
   
日本の花火掲示板に寄せられました哀悼集
   
心の記憶に残る花火をありがとうございました。(追悼花火動画&写真)
投稿者:hanabi-h 投稿日:2009年 1月27日(火)23時29分9秒
この度は、菊屋小幡花火店4代目当主 小幡清英氏の突然のご逝去の知らせに接し、家族一同、まことに驚愕し
言葉もありません。 深く哀悼の意を表しますと共に、心からお悔み申しあげます。 ...
2008年は、ツインリンクもてぎ 花火の祭典〜新春〜に始まり、第20回たまむら花火大会,袋井遠州の花火,
雷により順延となった夏の花火の祭典,新町,大曲,沖町,常総市きぬ川,土浦,箕郷,長野えびす講,
ツインリンクもてぎ Lovers'Xmas HANABI
そして2009年 ツインリンクもてぎ 花火の祭典〜新春〜 と例年以上のペースで、菊屋小幡花火店の打ち上げを、
数多く鑑賞させていただきました。

つい先日のツインリンクもてぎ Lovers'Xmas HANABIでは、開催前に連れの方と私どもの観覧場所付近に
お見えになられたので、ご挨拶させていただいたばかりでした。
とてもお元気そうでしたのに、今から考えるとその1週間後に、お亡くなりになられたのですね。

人の命のはかなさを痛感しているところです。

改めて各地の花火大会で撮影した動画&写真を振り返って見ると、いろんな思いがこみ上げてきてしばらくの間、涙があふれてきて止まりませんでした。
菊屋小幡花火店の花火には、いくつもの感動と明日への活力をいただいておりました。

私にとっては、2008年 花火の祭典〜新春〜で、家族のメッセージと共に打ち上げていただいた、四重芯点滅花が
生涯の心の記憶に残る花火となりました。

http://zoome.jp/hanabi-h/diary/50/ ←(四重芯点滅花動画)

これからも菊屋小幡花火ファンの一人として、応援させていただきたいと思います。

動画をメインに撮影していますので写真が少ないのですが、添付写真は、
2008年10月04日に土浦全国花火競技大会で打ち上げられた昇曲付四重芯変化菊です。
   
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お悔やみ申し上げます
投稿者:花火って本当にいいですね! 投稿日:2009年 1月27日(火)10時04分49秒
小幡清英氏の訃報に際しただただ驚くばかりです。氏は四重芯を始めて打ち上げ
られた方でもありますが、大曲の花火で音楽付の創造花火を提案された方でもあ
ります。菊屋小幡花火店の音楽付スタマはとても好きでした。今年も、新たな感
動をわれわれの前に披露して下さるものとばかり思っておりました。本当に残念
でなりません。
これまでの数々のすばらしい花火に感謝を申し上げるとともに、心よりご冥福を
お祈りいたします。
一花火ファンとして、今後も菊屋小幡花火店の益々のご活躍、ご発展を衷心より
祈念いたしております。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
投稿者:NOB@花火散歩 投稿日:2009年 1月26日(月)01時58分49秒
今朝から、この訃報を知るに至り、大変衝撃を受けております。
まさに心に穴の空いた思いです。

今までの素晴らしい花火に感謝申し上げるとともに、
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
思い返せば一昨年の風まつりで初めてご挨拶させて頂き、
昨年の新春茂木では花火の演出について、
静かな口調で語られていた姿が目に浮かびます。

私も今後の菊屋小幡花火店のご活躍をご期待申し上げます。

※10月18日の八代での四重芯点滅花を献花させて頂きます。
 
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小幡社長 安らかにおやすみください。
投稿者:オバタリアン 投稿日:2009年 1月25日(日)23時54分48秒
慎んでご冥福をお祈りいたします。本当に残念でなりません。
私が花火にのめり込むきっかけになったのが小幡清英氏にお会いしてからでした。氏の花火に対する考え方や人間性に触れ花火の見方が変わりました。
本当に花火一筋で、観客に綺麗な花火を見てもらう事を常に考えていらしゃいました。
今考えると偉大な花火師の方と知り合えた事を幸せに思います。小幡清英様素晴らしい花火と感動をありがとうございました。
これからも私は菊屋小幡花火店を応援していきたいと思います。
  
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