KAMAKURA MONOCHROME
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呼び声〜稲村ヶ崎
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盛夏〜輝ける海
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材木座〜盛夏
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夏の終わりに
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海苔ひび
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破れ船〜材木座
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銭洗弁天
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ナズナの花と石仏
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幟
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扇ガ谷二丁目
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祭りの日
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杉本寺千社札
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踏切
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大仏坂体育館
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旗上弁財天
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妙本寺瓦屋根
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八雲神社
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竹垣木漏れ日
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千体地蔵〜長谷寺
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大島遠望
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寿福寺参道
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冬至〜江ノ電車庫
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渚に遊ぶ
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買い物へ〜由比ヶ浜2-7
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鎌倉花火大会
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材木座暮色
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七里ヶ浜夕照
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光明寺光る海
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鎌倉モノクローム 〜過ぎ去りし時間(とき)の欠片(かけら)〜
埼玉県在住の私が、鎌倉に惹かれて、その写真を撮り始めることになったのは、専門学校生だった頃に遡る。課外授業で鎌倉を取材してリポートをまとめる……そんなカリキュラムだっただろうか。季節は晩秋で、鶴ヶ岡八幡宮の大銀杏がすっかり黄葉していたから12月初めあたりか。当時すでに写真を撮っていた私はフォトリポートを選んだわけだが、それがそれからの永い鎌倉詣での始まりだった。
このとき同時に感動したことは、久しぶりに訪れた「海」だった。海に面した古都である鎌倉は、本当に海がその一部である。海無し県にいると海まで出かけるのさえおっくうになるのか、ずいぶん永いこと海に来ていなかった。由比ヶ浜に満ちた暖かい陽射しの中で、自分の中にある海のイメージとの再会だった。
だからこの一連の鎌倉シリーズの中では、モノクロでもカラーでも、私の中では一貫して海と鎌倉は切り離せないイメージになっている。
今では鎌倉に出かけるといっても、撮影場所を絞った上で、バスやマイカーを使ったりしているが、鎌倉詣での初期はもっぱらやみくもに歩き回っていた。そしてほとんどインスピレーションだか、直感で、片っ端から撮りまくっていた。だから良い写真もあったが、無駄弾もハンパじゃなかった。
時間だけはたっぷりとある学生の頃も、今と同様にお金には恵まれていなかったから、初期から中期の写真はモノクロばかり。早朝から日没まで、一日中鎌倉を歩き回って、夜は家に戻って現像とプリントに没頭していた。そのうち次第に焦点が合ってくるように、狙いを絞り込んで撮るようになり、無駄弾も整理されてきた。それから撮影はカラー主体に移行していくのである。
ほぼ全面的に鎌倉撮影をカラーに移行する前の1970年代後半から1990年代にかけてのこれらモノクロ写真の数々は、私が感じた鎌倉のエッセンスがとりわけ溢れている作品ばかりだ。三脚さえ持たず、撮影機材も充分に揃っていなかった。そして撮影テクニックも未熟で荒削りだった頃の、型にはまらない自由な感性のきらめきに満ちているように思えてならない。
訪れる度に、異邦人の私を温かく迎えてくれる鎌倉の町。鎌倉通いの日々は私に被写体を見つけだす眼と、美しく輝く瞬間やアングルを見極める眼を養ってくれた。古都の佇まいはこのかれこれ20年余の間にずいぶん変わっていった。たとえば古刹は何も変わらないように見えても、老朽化したところは近代の技術で補修され、それが古の風合いを失わせてしまったりして、ずいぶん残念な思いをしたものだ。
Canon AE-1、 F-1 FD/NewFDレンズ
ネオパンSS、PlusX、D-76、Microdol-X、フジブロ/フジブロWP
各写真はモノクロプリントよりスキャニング。オリジナルダブルトーン処理(by Photoshop)。
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