妙高高原艸原祭大かやば焼花火大会
2005/5
陽気もよくどこかへ出かけようと思ったが、関東圏の葛生は天気予報が芳しくなく、行ったことのない妙高へドライブがてら、ちょうど見頃であるという水芭蕉見物に出かけることにした。
29日の高山の降り口である須坂インターからさらに15分ほどの走りで妙高インター到着。
初めての場所なので妙高インターを降りてただちに道を踏み外したが、ただちに気が付く質なので仕切直してイモリ池へ向かう。イモリ池を目指したのは誰かにそのようなことを聞いた気がするからで確かなあてがあったわけではない。道なりに進みそれらしい山小屋風売店のある駐車場に入れると、そこはもう池の畔であった。
イモリ池は南北に楕円形状で長い方の径が250メートルほどの小さな池で、一周するのもさほどかからない。その一角に湿原地帯があり、水芭蕉祭と称してちょうど見頃の時期だった。
細波立つ池の向こうにガスが沸く妙高山が横たわり、空は快晴で全てが5月らしい爽やかな色合いに包まれていた。山桜はちらほら残り、あとはコブシの花が盛りなこと、白樺林もまだ若い葉を吹いて間がない美しい季節である。
ところが妙高高原町、妙高村の新井市への編入合併に伴う妙高市議増員選挙を翌日に控えたこの地は、こうした陽気と快適な気分を吹き飛ばす選挙戦もヒートアップの最終日。祭り当日とあって参集する客目当てで候補者も繰り返し来襲。通過する選挙カーからの「最後のお願い」の連呼が終日続いて興ざめであった。
ともかくさっそくロケハンを兼ねた散策を始める。どうやら水芭蕉としては一部では盛りを過ぎているのがほとんどで、既に葉っぱの方が巨大に成長している株が殆どだった。水芭蕉と同時か少し後に咲くというミツガシワもまだちらほらといった具合だった。水芭蕉で有名な尾瀬では見頃は標高の低い尾瀬沼でも5月下旬からであるから、妙高のこの位置はさらに標高が低いのであろうか。
水芭蕉は通い詰めた尾瀬で撮り慣れた被写体。久しぶりのご対面が嬉しい。しかし湿原地域に分け入っての撮影は最大の御法度であるから、いきおい散策路や木道の上から撮影できる範囲に限られるのである。したがって花の撮影で活躍するマクロレンズなどより望遠レンズが主となる(写真・35ミリカメラで200mmレンズ)。無数に咲く水芭蕉であるがカメラのレンズで寄せられる範囲で被写体となるいい佇まいの株は限られてしまうもの。ネイチャーフォトの撮影では、技術やフレーミングのセンスはもちろん大切だけれど、なによりも良い被写体を見つけだす「眼力」が要求される。この日もイモリ池を一周し近くの群生地一帯をくまなく見回ったが、アップで撮影できそうな株はたった一つだけだった。水芭蕉というだけあって、その根本には水の流れなど“水分”が無いと瑞々しく生き生きとした絵になりにくい。尾瀬でたくさんの水芭蕉を撮影して会得したことだった。ワンカットだけだけれど気に入った株をアップで撮影できてまぁ満足だった(写真)。白いのは花ではなく仏炎苞(ぶつえんほう)と言う部分で、本当の花は中心部の黄色いところについている小さいぽつぽつのところ。白い苞を透過光気味に撮れる光線状態が理想的。
散策してイモリ池周辺の様子は掴めたし、向こうに聳える妙高のスキー場あたりで打ち上げるらしいことも判ったがまだ情報不足である。本当にここ(イモリ池)でいいのだろうか?と何度も考えて、ロケハンがてら車を走らせることにした。途中、ご当地ビールの「妙高高原ビール」を飲ませるビア・ホールであるタトラ館に寄り、飲むわけにいかないので土産としてビールを買い込みさらに走る。辺りはさすがにロッジ、ホテル、山荘といった宿泊施設が一杯で杉林あり白樺林あり、と打ち上げ方向の見通しが以外と悪い。適当に道を探していると、「花火打ち上げのため通行止め」の看板が立つ登り道を見つけ、まだ規制時間外なので登り詰める。するとそこはゲレンデであり、妙高山の方を見ると何本ものリフトが架かるゲレンデ中腹に打ち上げ筒が見えた。エメラルドグリーンの筒はまぎれもなく信州煙火工業である。リフト乗り場のゲレンデ下部から打ち上げ場所までは相当な登りであり、徒歩では現場まではきついので接近は止めた。打ち上げ場所を写真に収めているとまさに信州煙火工業のワゴン車が脇を通っていった。
さてこれで正確な打ち上げ場所が判明したので撮影位置を決めよう。下から残雪のように見えた白い小山はどうやらかやば焼きに使う無数のかやの上に防水シートが被せてあるようであった。2つほどの山の直ぐ下が打ち上げ位置であった。その残雪のような塊はイモリ池からも見える。これが2つきっちり見えるような位置を探して確保した。もっとも良いと思われる位置はただ一箇所あり、そこは既に到着時に三脚で場所取りされていた。おそらく地元組であろうがさすがに心得ていると思った。
地元のカメラマンと言葉を交わすと、かやば焼きの内容がわかった。つまり京都の大文字焼きのようにゲレンデの山腹に「艸(そう)」のひと文字をかや焼きで浮かび上がらせる、というのであった。池の平温泉温泉スキー場のゲレンデ約60ヘクタールの草原に縦300メートル、横300メートルの巨大な文字になるそれは双眼鏡でのぞくとかすかに着火地点というか文字型に草が刈られているのが認められた。地元のカメラマン曰く「文字が正向きで見える位置が望ましい」。なるほどと思い、ふたたびロケハンすると池の南側でも好ポイントがあったのだが、少々文字が斜めに寝てしまうのだった。前述したように直径で250メートほどの池の畔をわずかに動くだけで実に微妙に見え方が変わるのだった。
妙高山と打ち上げ場所(円内)
打ち上げ場所のアップ。10号筒は3本くらいのようである。
かやば焼きのアップ
現場を見て改めて考えると、イモリ池の東側の畔から打ち上げ場所までは直線で1300〜1400メートル。この超長距離でたとえ10号まで打つとしても見かけ上妙高山の頂上の上に盆が出るのか?と半信半疑だった。
その証拠に定時雷が16時(イベントスタート合図)と18時に上がったが、3号、5号の万雷と号砲は何れも頂の上に出なかった。しかし良く考えるとイモリ池畔とゲレンデ中腹にある打ち上げ場所とでは標高差が相当あるのだった。実際に打ち上げ現場近くまで車で行くと相当な登り道なのである(車でなければとても行けず)。地図で調べると等高線で3本半もの差があるのだった。すると標高差で200メートルほどはあるだろうか。ならば底上げされた花火はそれなりの高さに上がるはずである。近くの見物人の中に信州煙火の関係者(花火師)がおり、話を聞くと十分に高く上がるということだった。
快晴だった日中であったが、夕刻が近づくに連れて雲が沸き、妙高山の頂を覆い隠し、さらに空一面に拡がっていった。
イベント開始の際の町長(?)のあいさつでは「昨日まではどうなることかと」と話していたので今日の好天は存外のことであるらしい。ラッキーである。
18時過ぎに池端の三脚まで機材を運ぶ。といっても車からそこまで50メートルもない至近距離。実にありがたい駐車場であった(駐車料金はとられないが夕食と足湯にお代を払った。山小屋風売店の一角に「足湯」があり、温泉地域なことを感じさせた。午後は運転とロケハン、散策で疲れた脚をこちららで癒させてもらった)。
イベント会場でのひととおりの催事が終了して(花火の後に大抽選会を残すのみ)そこの客が一斉にイモリ池の畔に移動してくるので、三脚で鈴なりのその後ろの周回散策路にはたちまち人垣ができた。
19時10分にポツポツと火が見えてどうやらかやへの点火が始まった。ゆっくりと次第に火が拡がりじわじわと文字の形になっていった。10数分も経過してから唐突に打ち上げが始まった。臨戦態勢である。スタートはスターマインであったが、果たしてすごく高度が出ているというわけではなかったが、やがて5号を積むとそこそこ見栄えがする感じだった。しかし5号を打っても150ミリでちょうど良い画角だった。
カメラはズームのメインと150ミリのサブと用意し、150ミリの方はかやば焼きに点火してからそこそこ燃えて形になるまで135ミリカメラで撮って、それから645に載せ換えた。
7号から上を打ってようやく150ミリの画角では入りきらず、ズーム側の領域となる。
意外に、意外なほど花火の物量はあった。辺りのアマチュアカメラマンの会話では「あっという間に花火は終わる」というようなものだったので、たいして期待はしていなかっただけになかなか満足であった。
花火はまさに信州煙火そのもので7号あたりで低空開発があったものの色彩も綺麗に出ておりなかなか楽しめた。終幕はどこでも見られるが錦冠スターマインに花雷を幾度か浮かし錦冠7〜10号添えといったところであった。
しかしかやば焼きと花火以外に写るものがなく、雲が覆ってしまったので妙高山の稜線も前露光で出すことができないコンディションだった。目前のイモリ池は風も穏やかで鏡のように静かな池面が花火とかやば焼きを反映していたが、この両方を広角で撮ると間に真っ黒な池の対岸と山腹が横たわってしまうので絵的にはいまいちである。水の反映を入れる時には水面から直接打ち上がっているような場合に限る。
画角的にはかやば焼きと花火に絞れば75ミリ〜150ミリ(645)であろう。75側では10号を打っても周囲相当余裕である。今回はズーム側カメラがトラブり、ほとんど撮影できなかったが、平行して構えた150ミリの方で実際はほとんど撮影してしまった。7〜10号など大玉は数える程であり、スターマインと5号まででは150ミリできっちりとフレーミングされるので、ファインダーでの見かけでは収まりが良かったのである。
帰路は交通規制で21時まで元来た方向に帰れないので、反対方向に遠回りする形でインターIN。途中群馬県に入った辺りから小雨であったが約3時間で帰宅。
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