hyakkei.gif花火百景 写真:馬場 隆 音楽:SDU
発売:シンフォレスト 6/26発売 CD-ROM ¥3,900(税別)
  
 シンフォレストといえば、ネイチャー、アート、ランドスケープもので高品質なCD-ROMを提供しているメーカーだ。既刊のCD-ROMはいずれも完成度が高い。「花火百景」だけを購入する多くの一般消費者にとっては、音楽とともに臨場感を高める効果音(打ち上げ音や会場のざわめきなど)も付いているし、価格相応の完成度と満足が得られるに違いない。
「花火百景」は、従来のシンフォレストの路線とは異なる企画といえる。路線拡張を狙っての季節物企画ということになるが、写真の品質と内容の点では他のラインナップと比べることはできない。
 シンフォレストの既刊のリリースを飾るのは、いずれもそれぞれのテーマでは名うての写真家ばかりだ。そして各人が永い年月をかけて自らのテーマに取り組んでいる作品を厳選してCD-ROM写真集としている。そのどれもがやすらぎと癒しさえ感じる素晴らしい作品ばかりだ。しかし「花火百景」にはそうした深みがない。それは企画を立てた側、撮影者ともに花火に対して知識も思い入れも無いためだろう。「一瞬の芸術」「華麗なる花火の祭典」とか「まばゆい美しさ」と宣伝にうたっているが、それらを写し取ろうとした写真は少ないし、それを観賞してもらうように作ることは目的ではなかったようだ。花火の写真はこんなものでいい、と企画を立てた側ですでにそう考えているのだとしたら、花火ファンとしては哀しい。
 このCD-ROMは、わずか2シーズン(7〜11月)95、96年度の2年間だけの撮影で構成されている。2年間というと永そうだが、花火の写真で当たりのカット(人の鑑賞にたえる作品)をCD-ROM一枚分用意するには、あまりに短かすぎる期間だ。もっともシンフォレストとしては、この企画は、夏のための雰囲気CD-ROMであって、他のラインナップのような有名作家の個人作品集を作ったつもりではないのかもしれない。
 撮影期間だけではない。このページの書籍の紹介のところに「日本列島花火旅」(小学館刊)という本を掲載しているのであわせて参照いただきたい。「花火百景」の撮影者はこの本と同じ。2年間だけでと書いたが、それがそのまま馬場氏の花火写真歴になるという。いまやアマチュア写真愛好家でさえ、何年も、何十年も花火を追いかけ、撮り続けている人がいるなかでは、この起用は驚きである。
 しかも最初の1年は、カメラマンとしてこの本のために依頼されて撮影したもので、本人の自発的な意思や使命感によるものではない。撮影場所の花火大会も編集サイドが決めたものだ。自らが興味と意欲をもって花火撮影に取り組んだのは、次年のわずか数カ月というものだ。これで商品としてのCD-ROMを構成するのはいささか冒険ではないだろうか?。
 既刊本との重複を避けて、独自の写真構成にしたかったと思われるが、そうなるとたった1年だけで撮影したものということになる。もともと1シーズンで撮れる写真に限界がある上、既に使用された写真を外そうとしたら残った写真の質は言うまでもない。結局、ボツにするような写真まで集めて収録している。また1シーズンでは例えば同じ花火大会でも違うアングルから撮ることが出来ないので、収録量が多くなると、同じ視点で撮った写真が増え、それだけで変化が無くなってしまう。
 撮影した花火大会は以下に示すが、たったこれだけの花火大会で撮影した、たったこれだけの花火の写真で商品としてのCD-ROMになってしまうとは、日頃日本の花火の素晴らしさを説いてまわる花火ファンの1人としてただただ落涙するばかりである。
 一言で花火といっても、その範疇は広い。「花火百景」には打ち上げ花火のみならず、花火を使った祭りなども登場する。広告には、全国各地の花火大会の名場面を収録、としているがひとりの撮影者が1,2年でそれをかなえるのは事実上不可能。結果として「日本列島花火旅」同様に、収録しなければならない各地の花火大会のいくつもを最初から撮影していないのが残念。それでも何も知らない消費者向けにはそれなりの商品として販売され、そこそこセールスしてしまうのだろう。
 「花火百景」が一人のカメラマンの写真のみを使用している点は評価できる。そうしなければ写真のレベルや作風、視点も発色もバラバラになってしまうからだ。しかし撮り初めて1年では、肝心の撮り手にテーマ性と作風が無かった。本人は花火についてまだ知識や理解、格別な想いもないのだろうと思う。噂に聞いた、あるいはお膳立てされた花火大会をこなすだけでなく、花火と花火大会を選び自ら狙って撮らなければならない。
 スライドショーの全体の構成は、限られた花火大会で撮った写真をランダムに並べたものとなっている。いずれの写真も内容に何の脈絡もなく並べられている。時折挿入される花火以外の昼間の情景や祭りの説明写真にはひどくガッカリし、集中が途切れる。さらに、変化を出すためか、同じ写真のスキャンによる部分アップを連続しているのには滅入る。水増しか無用としか受け取れない。競技用の割物を羅列したシーンではその扱いの軽さに涙が出る。
 打ち上げ花火を狙った写真からは熱を感じられないいわば「遠花火百景」。共通しているのはその徹底した「引き」の間合いだ。これはずっと離れた場所から撮影するという意味だが、事実いくつかの撮影場所では1キロメートルを超える位置から狙っている。まさに「距離」を置いた視点だ。それは観客のさらにずっと後ろから熱狂を見つめる冷めた視線である。夜景などを多く取り込むための引きともみられるが、近距離から撮っているものも、必要以上の広角レンズで花火を遠ざけている。まるで頑なに花火世界に入り込むことを拒絶しているかのようだ。ゆえにどの花火映像からも迫力は伝わらず、遥か遠くから眺めた形態美のみに終始して遠花火を強要している。
 写真家が対象について(ここでは花火だが)写欲を満足させる被写体として格好だと考えるのと、被写体そのものに好意と興味を持って撮影するのとは違っている。それは対象への熱狂や敬意の有無だ。物理的距離よりも花火を気持ちの上で遠くから眺めている機械的な撮影に熱狂は感じられない。
 ただし花火は初心者にもかかわらず、ここまで撮りきってまとめたのはソツのない仕事と賞賛したい。良くも悪くもプロの写真家の仕事だと感じる。プロの写真家なら花火を写す方法くらいは知っているだろうし、知らなければ勉強したに違いない。この撮影者もうまくまとめているが、仕事をこなしたにすぎず、これまでの多くのアマチュア写真愛好家が撮りつくした、少しも感動しない「花火が写っている写真」にも及ばない。アマチュアはそれなりに独自性を出そうと努力しているからだ。しかもこれらは花火を知らなくてもそれらしく写る、古い花火撮影の手法だ。収録された写真を観ると、「こんな風に写っているのが旧来からの花火の写真」という固定イメージが撮る前からできあがっているようだ。それはこの撮影者独自の目標のイメージではなく、これまでどこかで観た雛形の花火風景写真の姿である。「引き」の間合いに落ちているのも撮り手の好みより、こうした先入観が勝っているためであるかもしれない。
 収録写真はいずれもやや発色が悪く、せっかく1670万色のディスプレイで観るのに花火の美しさや「芸術」を引き出せていない。これはオーサリングやスキャンのせいでなく、元の写真によるものか?また単発の玉を形良く撮ったもの以外は、撮影タイミングや画面構成もいまひとつ。一連の打ち上げの中で、どうしてこの瞬間でなければならなかったのか?さらにどうしてこの写真を選んだのか?と歯がゆく感じられる。撮った側での花火への理解や、少なくとも「一瞬の芸術」を観賞する気持ちが熟成していないためと思われる。
 縦位置で撮られることが多い花火の写真を、横位置にしかなりえないディスプレイの比率にどう収めるのか?が興味のあるところだったが、これは、いくつかは最初から夜景を多く入れるための横位置狙いをすることでフォローしているようだ。そうすると花火が小さくなってしまう。結局花火の写っている夜景写真になっている。
 花火の写真だけではないが、短期間に撮られた限られた写真の中から使えそうなカットを選ぶ。これではテーマもストーリー性も出すのは難しいし、撮影者からの積極的な売り込みでなければ、他のラインナップの完成度とのバランスは商品としてどうだろうか?この撮影者が今後は敬意を持って継続的に花火に取り組み、被写体について真摯に学び理解に務め、独自の花火観や表現手法を持ったならば、素晴らしい花火写真が生み出されるに違いない。

「花火百景」収録花火大会 いずれも1995,96年度(開催時期順)

神奈川新聞花火大会またはみなと祭り国際花火大会(神奈川)岡崎観光夏まつり花火大会(愛知)東京湾大華火祭(東京)豊川手筒まつり(愛知)諏訪花火サミット新作花火大会(長野)片貝まつり(新潟)土浦全国花火競技大会(茨城)えびす講煙火大会(長野)

なおシンフォレストホームページに新設されたバックナンバーで制作サイド(撮影者、音楽担当)のコメントを読むことができます。
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